郡司正勝「歩く」シナノ出版
2018年 01月 08日
「郡司かぶき」と呼ばれる歌舞伎の名作を生んだ歌舞伎作家であり演出家。俺はその存在を聞いたこともなかった。この本はそんな郡司氏のエッセイ集となっている。彼は歌舞伎の元々意味である
抵抗精神が現代において瀕死の状態にあることに危機感を感じ取り、常識にあてはまらない本能から出発する歌舞伎を作り上げた。その一例が「歩く」だ。この歌舞伎には明確なプロットがない。役者の肉体がそれを作り出すという歌舞伎だ。まさにアヴァンギャルドといっていい。岡本太郎のようなものだ。歌舞伎という一見伝統芸能の王道の分野に、こういう人がいたということは面白い発見だった。もうこの方はこの世にいないが、演劇は一度見てみたいと思った。
<印象に残ったことば>
・食えないということも大事な、生きていく道の根本的原理です。食えないことを出発にしなければ動物なんて一人前になれない。親が保護ばかりしていてはいけない。
・意味のない台詞があってもいい。肉体が聞き取れればいい。
・表現するということは捨てるということだ。
・想は高く、眼は低く。ただし、高すぎても低すぎでもいけない。
・歌舞伎は当て字で本来は「傾き」である。旧体制や旧習といった日常への抵抗であり、それを表現するものだ。
・江戸時代の眼はいくつもの世界を同時に一緒に見ることができた(複眼的構造)。トンボの眼だった。
・歌舞伎の七変化は東西共に共通する聖数であり、人間の生命を司どる数である。
・世の中はどんどん悪くなって、危機感が高まっているはずなのに。なぜかみんな目をつぶる方向で、芝居までが時間つぶしとか、現実を見ないで済むような時間にもっていってしまっている。
by oritaraakan | 2018-01-08 00:02 | 徒然日記