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オリンピック招致汚職疑惑などの不正をみて感じたこと

今回のIOC竹田氏のオリンピック招致汚職疑惑に対する処理、明石市のパワハラ市長再選、森友加計問題の幕引き等・・・どれをとっても日本は不義不正に対して「水に流そう」とする傾向がとても強い。もしこれが韓国で起こっていたら、絶対にタダではすまない。キャンドルデモで120万人が集まった国だ。この辺の根本的な視点の違い、考え方の違いが日韓の摩擦の根底にあるということをもっと日韓両国民は自覚すべきだ。どちらかが悪いとかいっていると拗れた糸はさらに拗れることになる。歴史的にあらゆる価値観を柔軟に受け入れてきた日本と、儒教思想で大陸と日本からの侵略に耐え、思想で民族としての威信を持ち続けてきた韓国では、物事のとらえ方が一から違うのだ。そこを履き違えたら合意点が見いだせるはずもない。これから俺はいろんなところで講演や講義をすることになる。そのポイントがまさにこれだ。たぶん、今回の竹田氏をめぐる問題も数か月たてばみんなの記憶からなくなり、竹田氏は名誉会長に復帰しているだろう。それが日本なのだ。

# by oritaraakan | 2019-03-23 10:42 | 徒然日記 | Comments(0)  

久しぶりの

久しぶりの投稿となった。約2ヶ月ぶりだ。この2ヶ月でいろんなことがあった。仕事ではベテラン職員の辞職や組織の大改編があり、綱渡りの日々だったといえる。しかし、変わらないことがある。「俺流」だ。俺は頑固なまでに自分のイズムを貫いてきた。それは時折、衝突も伴ったし、自ら危険な目にもあった。でも振り返ってみるとそれが自らを助けたことも事実だ。組織にはいろんな裏工作を図る奴もいたが、結局は自ら瓦解していった。俺はこれからも学び続け、自分を磨き続ける。そして守るべきものを守り、愛する人たちを助け続けよう。

# by oritaraakan | 2019-03-22 14:39 | 徒然日記 | Comments(0)  

成人式を迎えた次男坊

次男坊が成人式を迎えた。長男が20歳のときは浪人中でそれどころじゃなかったから、俺にとっても初体験となる。次男坊はもともとネアカだから話す奴らがたくさんいるし、かなり楽しんでいた。写真は小学校6年生の時、富山県代表で400mリレーに第一走者として挑んだ時のメンバーと先生が再会して撮った記念の一枚!実にいい顔をしている。次男坊も昨年までは野獣たちのいる大学サッカー部で、生き残れるか心配になる時期もあったが、一つ一つ乗りこえて、ステータスを確立した。だから顔に自信がみなぎっている。今は大学2年生、再来年は就活だ。まだ山あり谷ありだろうが、こいつならやっていくだろうな、と率直に思う。
俺はこいつをサポートし続ける!そのために日々研鑽をつづける!長男がいろいろ大変なだけに日々いろいろあったとしてもめげてなんていられない。そう、氷は砕きながら突き進む!超ポジティブ思考で厳しい現実も噛み砕き、逆境をエネルギーにかえて生き抜く!それが俺の人生でもある。次男坊の成人式は俺にとって励みにもなった。ありがとう!といいたい。
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# by oritaraakan | 2019-01-16 05:41 | 徒然日記 | Comments(0)  

徴用工ヒステリーの行方

日本のニュースがかなり危ないという感じがする。
「悪いのは韓国!」「韓国は法治国家の体をなしていない!」等、どのチャンネルをひねっても同じ事を言っている。本当にそうなんだろうか??俺は韓国での放送を同時に聞きつつ、「ああ、やっぱり・・」と思って聞いている。日韓協定の条文を丸読みしながら同じ御題目をとなえる日本の政治家、マスコミ、それを聞いて感情的になっている人たち・・一方韓国は日韓協定の条文解釈について日本の国会等での外務省高官の発言などをとりあげつつ「日本政府の主張の根拠」と「徴用工訴訟の根拠」を論理的に紹介している。しかも、三菱が補償に動こうとしたのをねじ伏せたのは安倍政権だった。俺の憶測はズバリ!「選挙のための敵対者造成」。みんなが不思議に思わないのが本当に不思議だ!!!

金子勝氏のツイッターより
【外交音痴と国際的孤立】韓国政府を批判する国際的論調は無い。もともと新日鉄住金が賠償支払いで和解をしようとしていたのを官邸が止めたことに始まる。国内向けに政治問題化させようとするアベの外交音痴が失態を招いている事態なのである。ゴーン問題もIWC脱退も同じ。

# by oritaraakan | 2019-01-13 22:06 | 俺の主張! | Comments(0)  

吉田元夫「ベトナムの基礎知識」株式会社めこん

「独立と自由ほど尊いものはない」1967年にホー・チ・ミンが語った言葉であるが、「人々が勝手な方向を向いて走り回っているというベトナム人の気質を的確に表現している。また「ベトナム人民は不治だ」という言葉もある。この不治は「治めがたい」の意味。日本では「お上が強く、人民は弱い」が、ベトナムでは「お上は弱く、人民は強い」のだ。会議などでもみんな言いたい放題らしい。そういうベトナム人を率いたホー・チ・ミンのリーダーシップは注目に値する。彼はマルクス・レーニン主義の範疇に収まらない、より広い人類文明への視座をもっていたことが大きい。

彼の残した言葉に以下のようなものがある。

「孔子の学説は、個人の道徳の修養を重んずるという優れた点がある。イエス・キリストの宗教には、高い博愛心という優れた点がある。マルクス主義には弁証法という優れた点がある。孫文の主義にはわが国の条件にも合う三民主義政策という優れた点がある・・・・。これらの方々は、みな人類の幸福を図り、社会全体の幸福を考えてきた。もしこれらの方々がまだこの世に生きていたら、一箇所に集まったならば、きっと親友のように極めて仲良く暮らしていたに違いないと、私は信じている。私も、これらの方々の小さな弟子となるように努力したい」

ホー・チ・ミンはベトナムにおいて「護符」の役割をしている。確かにそれは留学生に接していて感じる。

ベトナム戦争後、平和な国際環境は実現されず、中国との対立が深まった。カンボジア情勢はその

もっとも直接的な原因となって中越戦争、カンボジア侵攻へとつながった。ベトナムは国際的にも侵略者として孤立した「貧しさを分かち合う社会主義」からの決別という路線変更に75年から7年を要した。80年代に展開された「ドイモイ」によってその路線は確立され、ついにASEAN加盟を果たすことになる。これによって東南アジアにおけるプレゼンスは格段に向上、現在に至っている。基本的な事項についてかなりカバーされている一冊だった。


# by oritaraakan | 2018-12-30 20:16 | 読書ログ | Comments(0)  

早乙女勝元「ベトナム200万人餓死の記録」大月出版

戦中、食糧事情が困窮していた時代に、筆者は「シャム米、サイゴン米、トンキン米」を食べた。その米のおかげで日本国内で飢餓はほとんどなかった。しかしこのトンキン米は飢餓状態のハノイ周辺から運んできた米だったのだ。日本軍はフランス軍のヨーロッパでの敗戦を機会にベトナム侵攻という「火事場泥棒」(永井荷風談)をやってのけた。これを暴挙として連合軍は東京大空襲を行うことになるのだが、当時の日本としてはインドシナ侵攻は敗戦色をかき消す絶好のニュースであり、資源獲得の機会だった。19415月に結成されたベトナム独立同盟(べトミン)は「フランス侵略者の牛馬から日本略奪者の奴隷になった」ことを嘆いている。1945年、ベトナム北部一帯で大飢饉があった。その時日本軍はモミの強制供出令を出し、拒否するものには逮捕・拷問・立ち入り調査などで徹底的に搾取したのだ。仕方なく人民は搬出用のトラックを襲おうとし、逆に暴力を振るわれた。この時、町には餓死する子供や老人、女性でみちあふれ、地獄絵巻のような光景であったらしい。だからこそ、当時を知る人々にとっては「日本帝国=200万人餓死させた悪魔」という印象が残っているわけだ。もちろん良心的な日本人もいただろう。しかし国家としてやったことは消し去ることができない。こういった内容を著者は週刊朝日(1975321日号)に掲載している。反応として元兵士から「デマだ」という意見、「本当だ」という意見の二つがあったらしい。こういった意見はさておいて、圧倒的な現地の証言は揺るがない。こういう事象に背をむける人は実に多い!これは日本やアメリカに顕著だと俺は思う。後半に書かれていた日本兵による残虐行為は書くこと自体恥ずかしくなるほどの内容だった。歴史に背をむけてはいけない。日本が大東亜共栄圏と称して行った暴虐非道な行為は決してきえない。最近自虐史を名乗ってこういった内容を否定するものが日本で人気だ。実に残念な状況といわざるを得ない。アジア人としていきるために俺はこういった歴史に正面から向き合っていきたい。

戦中、食糧事情が困窮していた時代に、筆者は「シャム米、サイゴン米、トンキン米」を食べた。その米のおかげで日本国内で飢餓はほとんどなかった。しかしこのトンキン米は飢餓状態のハノイ周辺から運んできた米だったのだ。日本軍はフランス軍のヨーロッパでの敗戦を機会にベトナム侵攻という「火事場泥棒」(永井荷風談)をやってのけた。これを暴挙として連合軍は東京大空襲を行うことになるのだが、当時の日本としてはインドシナ侵攻は敗戦色をかき消す絶好のニュースであり、資源獲得の機会だった。19415月に結成されたベトナム独立同盟(べトミン)は「フランス侵略者の牛馬から日本略奪者の奴隷になった」ことを嘆いている。1945年、ベトナム北部一帯で大飢饉があった。その時日本軍はモミの強制供出令を出し、拒否するものには逮捕・拷問・立ち入り調査などで徹底的に搾取したのだ。仕方なく人民は搬出用のトラックを襲おうとし、逆に暴力を振るわれた。この時、町には餓死する子供や老人、女性でみちあふれ、地獄絵巻のような光景であったらしい。だからこそ、当時を知る人々にとっては「日本帝国=200万人餓死させた悪魔」という印象が残っているわけだ。もちろん良心的な日本人もいただろう。しかし国家としてやったことは消し去ることができない。こういった内容を著者は週刊朝日(1975321日号)に掲載している。反応として元兵士から「デマだ」という意見、「本当だ」という意見の二つがあったらしい。こういった意見はさておいて、圧倒的な現地の証言は揺るがない。こういう事象に背をむける人は実に多い!これは日本やアメリカに顕著だと俺は思う。後半に書かれていた日本兵による残虐行為は書くこと自体恥ずかしくなるほどの内容だった。歴史に背をむけてはいけない。日本が大東亜共栄圏と称して行った暴虐非道な行為は決してきえない。最近自虐史を名乗ってこういった内容を否定するものが日本で人気だ。実に残念な状況といわざるを得ない。アジア人としていきるために俺はこういった歴史に正面から向き合っていきたい。


# by oritaraakan | 2018-12-30 20:13 | 読書ログ | Comments(0)  

松岡完「ベトナム症候群」中公新書

アメリカが世界に君臨していた時代、「みすぼらしいチビども」と呼んでいた東南アジアの小国を相手に58000人もの戦死者を出しながら味わった敗戦は、米国民の自己認識や世界観を変えた。彼らは世界最強国家の民たる自信を打ち砕かれ、伝統的な価値観さえ見失った。政府への信頼も将来への楽観も薄れた。強い苛立ちと挫折感、無力感、孤立感が全米に蔓延した。これが「ベトナム症候群」だ。ベトナムという鏡はアメリカの過去と未来を映し出し、建国の歴史の暗部にも光が当てられた。また学歴の高いものや財力権力のあるものがベトナム派兵を逃れられるという格差社会もあぶりだされた。アメリカが建国以来描いてきたアメリカは常に正義の側にいるということだった。それがベトナム戦争を境に「アメリカは正義を行っていなかった。国民を欺いていた。ジェノサイドをおこなってた」という「アメリカ症候群」に苦しむことになる。1968年が境目だ。その後アメリカは湾岸戦争を日本等の財布で行い、イラク戦争では愛国心をかかげて国内外の支持をあつめた。しかし、同時多発テロ以後、不安の裏返しとしての愛国心はもう虚勢でしかないことが明らかになった。トランプのアメリカはその最たるものかもしれない。こういう見方もまた一つの重要な視点だろう。


# by oritaraakan | 2018-12-30 20:10 | 読書ログ | Comments(0)  

ボヘミアン・ラプソディ

クイーン、俺が高校時代、ロックバンドをやっていた時期、女子達がかなり好んで聞いていた記憶がある。俺達からすると、ロックというよりポップスに近く、コピーもしにくかったからそんなに愛着を感じていなかった。どちらかというとレッドツエッぺリン、ディープパープル、ジミヘン、AC/DC、レインボー、キッスといったバンドのコピーをしていたし、その音楽が好きだった。今回この映画を見て、俺が好きではなかったフレデイの生き様が目の前にあらわれて、非常に新鮮な発見ができた。みんなは涙が止まらない?とかいっていたが、俺はそれより、ボヘミアンとしての生き方を自ら貫いたフレディの生き様に感銘をうけた。自分の道は正しくないかもしれない。でも世の中のものさしにはまることなく、挑戦しつづける人生を生きる。そのメッセージがなんとも爽快だった。ライブの場面もかなりの完成度だったし、また見たいという印象をもった。

# by oritaraakan | 2018-12-09 01:22 | 読書ログ | Comments(0)  

平松伴子「世界を動かした女性 グエン・ティ・ビン」コールサック社

1969年、ベトナム和平拡大パリ会談に、アオザイを来て颯爽と登場したビン女史は、南ベトナム解放戦線(べトコン)が樹立した南ベトナム共和臨時革命政府の外務大臣だった。ジャングルの戦士の代表は実にスマートに世界のリーダー達と渡り合った。かのキッシンジャーをして「彼女はタフすぎる。苦手だ」と言わしめ、ベトナムの惨状を世界に発信し続け、国際社会を味方につけることに成功した凄腕の女性リーダーなのだ。この本は作家である著者が、あこがれ続けたビン女史に直接インタビューし、ビン女史自らが書いた資料にも準拠しながらまとまたものである。ビン女史はその後、ベトナム副大統領まで上りつめ、現在はエージェントオレンジ(枯葉剤)の被害者支援に力を注いでいる愛国者だ。曽祖父がベトナム史に功績の高いファン・チャウ・チンという教育啓蒙家である(ズイ・タン運動の創始者であり、ホーチミンとは知り合い)。母親が40歳にしてこの世を去り、16歳にして戦闘に加わった。投獄・過酷な拷問を受けながらもそれに耐えしのいで、外圧に対する徹底抗戦を指導した。日本が1940年頃、フランスに変わって統治をし始めたときに飢饉がおきたころ、日本がファシストとして食料を強奪し200万人を餓死させたことに対する糾弾もはっきりとしていた。どん底のベトナム人に教育を施すべく、べトミンから啓蒙に尽力し、数々の功績を立てている。ビン女史の別名は「デモ戦士」。フランスやアメリカに対して徹底的な抗戦を展開した。竹のようにしなやかな強い生き方、邪悪なものとは徹底的に戦い抜く、潔癖な魂、それがベトナム人の生き方なのだそうだ。中国、フランス、日本、アメリカ、韓国あらゆる国が攻撃をしかけたが、ベトナムはしなやかに耐え、すべて跳ね返した。その力から学ぶことは多い。グエン・ティ・ビンという指導者は今もアメリカが背を向けているエージェントオレンジ(枯葉剤)の被害者支援の最前線で戦っている。その事実を初めて知った。ベトナム戦争はまだ終わっていない。これからもしっかりと関心をもっていきたい。


# by oritaraakan | 2018-11-24 19:23 | 読書ログ | Comments(0)  

W.D.エアハート「あるベトナム帰還兵の回想」刀水書房

愛する国のために命を捧げた一人の青年が、「正義のために」ベトナムで動物を殺すように子どもも女も殺し、地獄の戦争を戦い抜き、1968年テト攻勢、フエ戦闘での負傷で帰還したとき、眼前に現れたのは「帰還兵への不理解」と「JFケネディ、ジョンソン、ニクソンの嘘と暴力」そして「自分の無知」だった。「国防総省白書」を読み、「ベトナム戦争は偽善にまみれた国家の権謀術数であった」という事実が目の前に顕現し、自分がただの「無差別殺人者だった」ことに愕然とし、軍人としてのプライドは粉々に打ち砕かれる。その衝撃で著者は精神的に追い込まれ、愛人に暴力を振るいだし、仲間ともいざこざを繰り返す日々を過ごすことになる。帰国後の地獄はベトナムの再現でしかなった。しかし著者はアメリカの負の歴史を知り、大いなる国家の過ちをベトナム帰還兵でしか書けない詩作という形で生を選ぶ事になる。代表作の「ゲリラ戦争」は65語(英単語)でベトナム戦争の現実を鮮明に描き出した。

「そいつは実際、不可能でしかないのさ 民間人とべトコンを区別するなんていうことは。誰も軍服なんて着ちゃいない。みんな同じ言葉を話してる。やつらは手榴弾を衣服の内側にテープでとめ、カバン爆弾を市場で使う籠に入れて運ぶのさ。女でさえ戦う。少年も、少女も。そいつは実際不可能さ、民間人とべトコンを区別するなんて。最後にはあんたも諦めるさ」

アメリカはベトナム戦争によって国家が内部から引き裂かれる結果をもたらすことになった。栄光の歴史に隠された暗黒の歴史や国家的な偽善が明らかになったのだ。著者はアメリカ建国の歴史に隠された暗黒史、ベトナムの歩んできた歴史を知る。「ああ、なぜ俺に教えてくれなかったんだ??なぜ国は俺達に嘘をつき続けたんだ?」をの怒りがこの著作にあらわれている。

「それは地獄のような恐怖の檻をくぐりぬけていく道のりだった。つまりそこでは、考えられる限りの恐怖と真っ暗闇の悪夢とが、突然、過酷で、冷酷で、絶望的な現実となり、ベトナムの水田地帯とジャングルで初めて抱いた醜悪な疑問点のすべてが、いきなり生々しく無慈悲な言葉で解き明かされ、そして俺が18年間信じてきたもの、その後も(精神的な)痛みと飢えに苦しみながらも4年もの間、必死に信じようとしてきたものが、突如として灰と化してしまったからだ。その灰は毒々しく乾ききっていて、息がつまるようなもので、とても呼吸などできないほど濛々と立ちこめていた」

「戦争の恐ろしさを知ることは簡単なことだ。しかし戦争の後始末が如何に困難で、恐怖と痛みを伴うものであるかを理解するのはそう簡単なことではない」

「この戦争は恐ろしいほどに間違っている。俺の愛する国はそのために死にかけているのだ。アメリカはベトナムの水田で、ジャングルで、血まみれの瀕死状態にある。そして今、その血は俺たちの住んでいるこの街まで流れ出している」

「間違い?ベトナムが間違いだって?冗談じゃない。調子のいい二枚舌の権力者達が力ずくでこの世界を造りかえるための計算ずくの企みだったのさ。奴らが俺たちを道連れにして沈んでいったその奈落とは、およそ底なしとしか言いようのないほど深いものだった」

「俺は馬鹿だった。無知でお人よしだった。ペテン師。そんな奴らのために俺は殺人者となってしまった。・・そんな奴らのために、俺は自分の命まで投げ出そうとしていたのだ。奴らにとって俺はほんの借り物の銃、殺し屋、手下、使い捨ての道具、数の内にも入らない屑でしかなかった。ベトナムから戻って何年か過ぎ去り、そうした懸念は膨らむばかりであったが、真実がこれほど醜悪だったとは想像すらできなかった」

「・・あのいまいましい戦争を考えてみろ。畜生!まだ続いてるんだぜ。連中に勝てる訳がないさ。勝てたなんていままでなかったのさ。しかしあいつら(ニクソンら)、東南アジアをまるごとディズニーランドの駐車場にしてしまうまで人殺しを続けるつもりでいるんだ。何人死んだって、マイク、ここアメリカでは誰も気にかけない。自分達の息子が死体袋で帰ってこない限りずっと続くのさ・・・」

「奴らはまるで幽霊だ。いいかい、これは第二次大戦とは違うんだ。俺達はこちら側、君達は向こう側、ここが両サイドをわける線とはなっていないのさ。・・誰も見分けがつかない。同じ服装で畑を耕してる。出会うのは全部べトコンかもしれない。そうは見えない奴に限って多分そうなんだ。女、子ども、誰もがそうなんだ。地獄さ・・・」

「トラックに向かって食べ物をせがんでいる群れに、小さな固いレイション缶をなげつけると、あの小さなアジア人の目が、まっさらな雪のように白く変わった。小さな口をあけたまま、小さな腕と足を四方八方に伸ばして飛び上がり、缶があの子達の胸や肩、頭で跳ねかえると、小さな身体はサンドバックのように沈んでいった・・・」

「(交際相手を殴って)やってしまった・・彼女は恐怖を剥き出しにした眼差しで俺を見つめていた・・・・彼女の目は何百という村で何千という顔に俺が見てきたのと同じ目だった・・・」


ベトナム戦争から学ぶことは本当に多い。まだまだ続きそうだ。


# by oritaraakan | 2018-11-17 11:48 | 読書ログ | Comments(0)  

俺の学校、俺の生き方

「船底に穴があいた中型船」これが俺たちの学校。トップの趣向によって経営方針がきまり、トップのご機嫌をとることだけに力を注ぐ取り巻きたち。やはりそんな船からは当然ながら優秀な船員達が一人二人去っていく。俺はこの船にのっている。俺にとってはご機嫌取りなんて糞食らえなのだが、何と言っても今、俺は自分がしたい仕事をさせてもらっている。そういう意味では俺はこの職場を最大限自分のしたいことを探し出すために利用させてもらっている。現実的には2人の息子を経済的に確実に支えていかないといけないが、何より大事なのは俺が俺らしくいきることだ。2年前に大阪の大手学校法人から日本語学校校長就任依頼があったが、その東大卒経営者がレイシストであることから、断った。その美味しい話に悪臭が漂っていたからだ!嗅覚で俺は人を嗅ぎわける。だから友人を簡単にはつくらない。「群れない・媚びない・へこたれない」それが俺流の生き方。これから世界はどんどん変化していく。常に世界にアンテナを立て、チャンスの波がどこにあるか、見ていくのは面白い^^。俺流を貫きつつ楽しみながら学びを重ねる、そんな生き方をしていきたい。

# by oritaraakan | 2018-11-17 09:40 | 徒然日記 | Comments(0)  

ヴォ・グエン・ザップ「愛国とは何か」京都大学学術出版会

ベトナム戦争はジェノサイドだけでなくエコサイド(自然破壊)の深い傷跡を残した悲惨で醜い戦争だった。ほとんど農業しか頼るもののなかったベトナムに物質文明の頂点に立っていたアメリカは負けた。1919年第一次戦争の戦後処理を論議するパリ講和会議にグエン・アイ・コック(のちのホー・チ・ミン)は8項目の要求書をもち、ベトナム人愛国者代表として主席した。この要求は嘲笑の対象となり、相手にされなかった。そのころ日本は朝鮮半島の未熟な支配者として、支配者側に回ろうとしていた。客観的にみれば勝てる要素などまったく見あたらないその戦争にどうして勝ったのか?何が支えたのか?それはずばり民衆の祖国愛と愛国心だった。しかも筋金入りの愛国心だ(日本のそれは戦前の神がかり装束をまとった歪な形になっている。特に昨今の集団的自衛権行使については、アジアの一員としての覚悟や戦略のなさを見事に露呈してしまっている)。著者であるザップはテイエンビエンフーの戦いからベトナム戦争、そして現代にいたるまで、戦闘の最前線で指導しつづけた将軍だ。民族の「内発力」「自主的意思」の高揚と一体化を何より重視し、それを「ベトナム戦術」という形に展開させた天才的な軍師だ。中でも際立っているのがB52撃墜技術の練磨と命中率の高レベル化。少ない火力とソ連などから学んだ戦術で最大限の命中率をたたき出し、B52の操縦士を震え上がらせている。その執念と戦略の多様さは舌を巻くほどの内容である(「B52戦闘法」という本ができたほどの研究で35発のミサイルだけでB52を7機も撃墜した)。この攻撃がB52の操縦士の戦意を喪失させ、恐怖を与え続けた。「独立と自由ほど貴重なものはない」というホー・チ・ミンの信条の体現者としてザップは生き抜いた。「敵はどこにもいないが、どこにでもいる」という最強の部隊を築き上げたのだ。もちろん最初からそうだったのではない。第二次大戦後30年間、革命のための戦いを強いられた。戦闘スキルは飛躍的に向上していった。ザップは「新時代におけるヴェトナム人民戦争の無敵の力」という論文にそれをまとめている。要点は党の指導、人民戦争の政治的背景(独立・自由・社会主義)、民衆の力、新戦力、行動戦略、軍事芸術(人民戦争)、時間哲学(時は力)といった内容らしい。ザップは敵から見れば暴力の天才、身内からは無敵の将軍ということになる。彼のモットーは「大速力、大胆、奇襲、勝利への確信」、戦闘方式は「外からの攻撃、内部からの攻撃、勝機に連続勝利」、勝利の決定的要因は「最新兵器を打ち砕くヴェトナム精神」。文中で彼はホー・チ・ミンを「ホーおじさん」と呼び、103年の生涯を閉じるその日まで愛情を抱き、忠誠を尽くした人物だということが見えてくる。

「多くの人がこう質問する。ヴェトナムの人々は一寸の鋼鉄も持たないのに高く頭を上げて奴隷制度の拘束を打ち破り、釣り合いの取れない戦争で帝国主義の2大巨人を追い出し、失地を回復し、社会と人間の解放に進みえた。一体なぜなのか?」

 この質問への答えはヴェトナム精神があるから、ということになる。

「古代ヴェト族は早い段階で生命哲学を育み、形成・発展した民族文化は中核に愛国心があった。たじろぐことなく戦って自然と社会に打ち勝ち、一心同体に結集し、民族にとって最も不利な環境でも勇気と知力を振り絞る精神である」

 この言葉には古来より中国からの侵略に打ち勝ってきた自信が裏付けられている。

さらにこの論理がマルクス・レーニンの理念から出ていることも語っている。

「『邪悪なるものを破るに正義の大義をもってし、暴虐に代えるに寛容をもってする』『数で勝る力に少数で対抗する』『大勝を得るに小兵でもってする』といった論理は弱点を力にかえる弁証法の適用である」

ヴェトナム軍事理論の核は「独立・主権・知性・創造性」であり、「民衆の内発力」がコアの力になっている。あらゆる戦術を毛沢東の「持久戦論」やソ連の戦術から学び、すべてヴェトナム式に再創造しながら戦ったのがティエンビエンフーでありヴェトナム戦争であった。彼らは決してコピーをしなかった。ゲリラ戦術も中国やソ連、フランスがゲリラ戦を「移動戦術」という前提を置いているのに対して、「村の中に留まる」戦術をとった。農民がいつでもゲリラに変身するいう前代未聞のゲリラ戦術をとったわけだ。土地に対する農民の渇望を満たしつつ、抵抗力を最大限に引き上げた形だ。アメリカはかつてない苦戦を強いられ、ついには「石器時代に戻す」と宣言して第2次世界大戦の3倍の爆弾(枯葉剤を含む)を農村に落としてジェノサイドならぬエコサイドという最悪の犯罪を犯した。結果、アメリカは内部から崩壊し敗戦という結果にいたった。アイゼンワー、JFケネディ、ジョンソン、ニクソンが主導した無謀な戦争は自国の多くの若者を死においやり、1968年を基点に世界に冠たる国としての威信を失っていく。

この本は更に俺のヴェトナム戦争史探求への思いを強くした。今度は米軍兵士の眼からみたヴェトナム戦争を知りたいと思った。


# by oritaraakan | 2018-11-04 12:14 | 読書ログ | Comments(0)  

土田宏「アメリカ1968 混乱・変革・分裂」中央公論社

第二次大戦後、南北に分裂した内紛にフランスにかわってアメリカは介入した。ジュネーブ条約によって1956年に統一選挙をするはずだったのに、アメリカは南ベトナムにこれを放棄させた。アメリカが積極関与した理由で大きいものは「ドミノ理論」。共産圏の拡大を防いで世界の覇権をアメリカが保たなければならないというものだ。アイゼンハワー・ケネディは「軍事顧問団」という名目の軍力をベトナムに送り関与を深める。南ベトナムの混迷に乗じて北は「南ベトナム民族解放戦線(べトコン)」を組織、ゲリラ戦で対抗し、僧侶たちによる焼身デモなども激化する。ケネデイは無能なジェム大統領を見限りクーデターを容認し増兵を加速化させ、遂にはトンキン湾事件という自作自演の事件で北爆を正当化していく。しかし、戦争は泥沼化、遂にはテト攻勢によってアメリカは敗戦への道に落ちていくことになる。本著で新たにわかったのはテト攻勢と北朝鮮の関係だ。テト攻勢の8日前にアメリカ海軍情報収集艦プエブロ号が北朝鮮に突如拿捕され、乗組員83人が連行された。当時は第2の朝鮮戦争かと危ぶまれる事態であった。どうやら北ベトナムと北朝鮮は情報共有し、結託してアメリカ崩壊を目的に起こしたということなのだ。この事件の8日後、テト攻勢が起き、プエブロ号の解決にはなんと11ヶ月も要することになったのだそうだ。 

1968年、アメリカ国内ではヴェトナム反戦運動を機に民主党のマッカーシー旋風が吹き荒れ、ジョンソン大統領を辞任に追いやった。この時代、若者達は大きく変化した。その変化に追い風となったのが「理由なき反抗」(1955)、「猿の惑星」(1968)、「卒業」(1967)、「招かれざる客」(1967)などのカウンターカルチャーだ。「30代以上は信じるな!(猿の惑星)」という台詞が合言葉になり、デモが頻発した。そんな背景から彗星のごとく現れたのがJF・ケネデイーの弟ロバート・ケネディ(愛称ボビー)だった。彼は若者の耳目をあつめるスピーチを繰り返し、黒人や女性、社会的弱者など多くの人々に共感を呼び、次期大統領との声も上がっていたが、1968年凶弾に倒れた。奇しくもキング牧師の暗殺(1968)後、わずかしか経っていない時期である。この2人の死はアメリカ現代史にとってあまりにも大きな損害だった。この1968年を境に「一つのアメリカ」は死んだ。そして「混迷のアメリカ」がスタートする。現在のアメリカはこの1968年を基点としている。

確かにそうだろう。今はその混迷は分裂から憎悪の連鎖に拡大しつつある。恐ろしいことだ。日本政府の今の態度では日本もその渦に巻き込まれそうな勢いである。他人事では決してないと思う。


# by oritaraakan | 2018-10-28 12:01 | 読書ログ | Comments(0)  

うれしい悲鳴

わがインターナショナルビジネス学科に今日6名の受験者がきた。
みんなN2、N3,N4の所持者だ。いまこの学科に大きな波が来ている。
うれしい^^
今日、学生にあったが、かなりできる子達なのだ!
ベトナム、ネパールの子達だが、とにかくベトナムの子達がかわいくて仕方がない。
来年の入学が待ち遠しい!!!!!!


# by oritaraakan | 2018-10-20 18:16 | 徒然日記 | Comments(0)  

ドン・オーバード・ファー「TET! テト攻勢」草思社


1968年初頭に南ベトナム共産軍が敢行したテト攻勢は、第二次インドシナ半島のおける軍事行動の頂点である。戦史をみても稀に見る一斉蜂起であった。テト攻勢の最も大きな意義は、アメリカ人の心の中に起きた。正義の戦争ではなく虐殺戦争であることのショックが国民の脳裏に焼きつき、ジョンソン大統領を退位に追い込んだ。戦闘規模はとるに足りないものであったが、マスコミの拠点をあえて残存させることでベトナムのリアルファクトが世界中に発信されたのであった。このテト攻勢は決して南ベトナム共産軍の独自行為ではない。大統領選挙が1968年に予定されていることを念頭に政治的空白期をねらって、北ベトナムが命令を67年には下していたのだ。ホーチミンは全国民に向け68年1月1日に「3100万人のベトナム人全員がレジスタンス戦士になろう!」とラジオで事実上の戦線布告をしている。アメリカもその動きを察していながら対策をとらなかった。まさに慢心・油断から引き起こされたのだった。ベトナム戦争でアメリカは53万という兵隊をベトナムに送り、第二次大戦時の3倍にあたる爆弾をベトナム一国に落としまくった。しかしベトナム人は地下にもぐり、べトコンと農民はレジスタンスになって戦った。ホーチミンの言った通りだったのだ。テト攻勢だけをみれば実はベトナムの被害のほうが大きく、「誰も勝たなかった」軍事行動だといえる。しかしこのテト攻勢を境にアメリカは一気に敗戦に向かっていく、しかも内部から滅びていく。そう、アメリカ国民とマスコミが政府に背を向け始めたわけだ。そしてこの敗戦はアメリカのプライドをズタズタに引き裂くことになる。こういう事態に追い込んだベトナム人民を著者はこう表現している。

「ベトナム人民は雪にたわむ竹にも似ていたが、決してどちらかの方向に折れることはなかった。人々の辛抱強さと用心深さは、サイゴン政府だけでなく共産側の指導をも拒んだ」

事実このテト攻勢では混沌とした状況が展開されていた。いずれにせよ、テト攻勢によってアメリカの過ちが明確になり、内部から崩壊して75年に敗戦を向かえることになる。ベトナム戦争から学べることは多い。新しい探求分野ができた!


# by oritaraakan | 2018-10-14 00:03 | 徒然日記 | Comments(0)  

ダン・トゥイ・チャム「トゥイー(Đặng Thùy Trâm)の日記 」経済界

ベトナム戦争に医師として志願したトゥイーは死と隣り合わせの戦場で、愛と憎しみ、悲しみを詩情に込めて日記に綴った。彼女の死後、この日記は偶然手にした敵兵(米兵)によって発見される。米兵はこれを燃やそうとするが、同僚の南ベトナム兵士に「これは燃やすな!この日記から炎が出ている!!」と言われ、それ以降この米兵はその内容に関心を持ち、辞書を片手に丁寧に読み解いていく。その中で、いつの間にかトゥイーは米兵の心に染みいり、愛するまでになっていく。米兵はこの日記を35年間大切に保管し、トゥイーの母親を探し続けついに実母のもとに届けたという実話だ。この話に50万人のベトナム人が泣いたという。俺はこの本を県立図書館で偶然見つけた。表題と装丁に惹かれて、偶然に・・・。それからベトナム行きの飛行機の中で、「ある日私は平和の夢を見た」という邦題でこの「トゥイーの日記」の映画をみることができたのだ(題名だけ日本語、音声はベトナム語、字幕は英語)。二重三重に俺の心もトゥイーに奪われていった。日記に描かれたのは日々葛藤の中で勇敢に戦い、恋に悩み、失望から自らを鼓舞しようともがき苦しむ、あまりにも純粋な心をもった女性の姿だった。生き地獄の中で、これだけの日記を書き続けられたというのは並大抵の精神力ではない。特にベトナム人女性の強さ、優しさ、忍耐力、愛にあふれた文章に久しぶりに心の底から揺すぶられた。
「私の脳にはもう消すことのできない、深い皺が刻まれてしまった」
「本当にこの南ベトナムのようなところは世界中どこにもないと思う。すべての住民が戦士となってアメリカ軍と闘う地、敵の流した血が深くしみこんでいる地、戦死した家族のために、誰もが喪章をつけて、それでも戦い続ける地・・この戦闘に加わることができるは光栄だ」
「この小さな日記帳に、いったいいつまでこんな血なまぐさいページが書き続けられるのか!でもトゥイー!書き続けなさい!この20年間仲間が流し続けた血と汗と涙のことを!そして命をかけたこの戦いが終わるとき、書き残す意味、思い出す意味はもっともっと重いものになる。なぜなら、この長い道のりの最後、ようやく目的地にたどり着く日に、私はこの世にいないかもそれないのだから」
「ああ、この血に飢えたアメリカ軍が存在する限り、私たちは苦しみ続ける」
「何らかの愛がなければ人は生きることができないということも私には痛いほどわかっている。愛を知った心は純粋で熱い血液しか受けいれることができないのだ」

トゥイーの言葉が胸に突き刺さってとれない。そして俺の中にあった壁は崩れ落ちた・・・。

# by oritaraakan | 2018-10-11 01:10 | 読書ログ | Comments(0)  

ベトナムへの想い

ベトナムに今回で10回目の訪問をした。
以前は好奇心の眼だけでこの国を見た。もちろんベトナム戦争というものを少しは意識したがそれでも彼らに対する気持ちは少し他人事だった。しかし、今回、「トゥイーの日記」に出逢い、何か自分の中の心の壁が崩れ落ちた。心から愛しい気持ちになったのだ。「テト攻勢」「ベトコン」といった歴史本も大きな助けになって、この国を縦横に見つめることができるようになった。ハノイ、ハイフォン、ホーチミンとまわる中で彼らの息遣いにふれることができた。おれの家内の甥っ子が9月にベトナム人女性と結婚したことも大きい。俺の親戚にベトナム人がいるのだ!ベトナム人留学生にあった時の気持ちが大いに変化した。これから俺の読書のテーマもベトナムが増えそうだ。いい出逢いをさせてもらった。ありがたい。

# by oritaraakan | 2018-10-11 00:25 | 徒然日記 | Comments(0)  

ありえないトラブル!!

びっくり!今日卒業生と一緒に安い修理屋に携帯を預けて40分後といわれたが1時間半後にいったら店が閉まっていた!!!!しかも携帯電話にかけても店主はでない!まわりの人たち曰く「たぶん遊びにいったんだろ、あしたならいるさ」と来た!おいおい!俺は明後日早朝には帰るんだぜ!!!ということで、俺の手元には携帯がない!明日届けてくれると卒業生は言ったが、戻る保証もない!!困った!!まあとられたわけではないのだが、いきているといろんなことがある。まあ、ゆっくり待つとしよう。

# by oritaraakan | 2018-10-04 00:18 | ベトナムにて | Comments(0)  

戦争証跡博物館 忘れてはいけない日本人

沢田教一、一ノ瀬泰造、石川文洋
この3人は日本人なら記憶に留めておくべきだろう。沢田氏は言うまでもなく「安全への逃避」でピューリッツァ賞を獲得した名カメラマン!一ノ瀬、石川は共にベトナム戦争の生々しい記録を現地で命がけでとり続けた戦場カメラマンだ。沢田と一ノ瀬は後にカンボジアで殺されている。俺が尋ねたホーチミンの戦争証跡博物館は彼らの写真で埋め尽くされている。特に石川はこの博物館にたくさんの写真を贈呈し、日本語の解説までつけれられている。ここにも俺がはっきり認知していなかった「忘れてはいけない日本人」がいた!しかし、俺にとって衝撃だったのは枯葉剤の被害写真。おまけに最後の展示館には当事者がスタッフとしていた・・。これが俺にとっての最大の衝撃だった。
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# by oritaraakan | 2018-10-03 03:06 | ベトナムにて | Comments(0)  

クチトンネルへ

今回のオフタイムの大目玉がクチトンネル!ホーチミン市から65キロ離れた地点にあるべトコンの大拠点!「アメリカ敗戦の原因」となったところだ。俺は7年前に理事長と来たのだが、その時は理事長に気を使うだけだった。今回はしっかり自分の目で見て体験してやる!ということで再度体験した。ベトナム人いわく「これは人間の力ではできません!目に見えない魂が作らせたのです」といったがその通りだ。ありえない!ベトナム人の当時の状況は想像するのも困難だ。でも事実ここでアメリカは負けた。それが史実だ。

それからここで当時べトコンがつかっていたA-47カラシコフというライフル銃を打った。もちろん実弾だ!音がすさまじかった!
打ち合うことを想像するとぞっとする。最後に食べたベトコンの主食タライモ!まさにホンマもんのタピオカ!本当にうまかった。
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# by oritaraakan | 2018-10-03 02:33 | ベトナムにて | Comments(0)