W.D.エアハート「あるベトナム帰還兵の回想」刀水書房

愛する国のために命を捧げた一人の青年が、「正義のために」ベトナムで動物を殺すように子どもも女も殺し、地獄の戦争を戦い抜き、1968年テト攻勢、フエ戦闘での負傷で帰還したとき、眼前に現れたのは「帰還兵への不理解」と「JFケネディ、ジョンソン、ニクソンの嘘と暴力」そして「自分の無知」だった。「国防総省白書」を読み、「ベトナム戦争は偽善にまみれた国家の権謀術数であった」という事実が目の前に顕現し、自分がただの「無差別殺人者だった」ことに愕然とし、軍人としてのプライドは粉々に打ち砕かれる。その衝撃で著者は精神的に追い込まれ、愛人に暴力を振るいだし、仲間ともいざこざを繰り返す日々を過ごすことになる。帰国後の地獄はベトナムの再現でしかなった。しかし著者はアメリカの負の歴史を知り、大いなる国家の過ちをベトナム帰還兵でしか書けない詩作という形で生を選ぶ事になる。代表作の「ゲリラ戦争」は65語(英単語)でベトナム戦争の現実を鮮明に描き出した。

「そいつは実際、不可能でしかないのさ 民間人とべトコンを区別するなんていうことは。誰も軍服なんて着ちゃいない。みんな同じ言葉を話してる。やつらは手榴弾を衣服の内側にテープでとめ、カバン爆弾を市場で使う籠に入れて運ぶのさ。女でさえ戦う。少年も、少女も。そいつは実際不可能さ、民間人とべトコンを区別するなんて。最後にはあんたも諦めるさ」

アメリカはベトナム戦争によって国家が内部から引き裂かれる結果をもたらすことになった。栄光の歴史に隠された暗黒の歴史や国家的な偽善が明らかになったのだ。著者はアメリカ建国の歴史に隠された暗黒史、ベトナムの歩んできた歴史を知る。「ああ、なぜ俺に教えてくれなかったんだ??なぜ国は俺達に嘘をつき続けたんだ?」をの怒りがこの著作にあらわれている。

「それは地獄のような恐怖の檻をくぐりぬけていく道のりだった。つまりそこでは、考えられる限りの恐怖と真っ暗闇の悪夢とが、突然、過酷で、冷酷で、絶望的な現実となり、ベトナムの水田地帯とジャングルで初めて抱いた醜悪な疑問点のすべてが、いきなり生々しく無慈悲な言葉で解き明かされ、そして俺が18年間信じてきたもの、その後も(精神的な)痛みと飢えに苦しみながらも4年もの間、必死に信じようとしてきたものが、突如として灰と化してしまったからだ。その灰は毒々しく乾ききっていて、息がつまるようなもので、とても呼吸などできないほど濛々と立ちこめていた」

「戦争の恐ろしさを知ることは簡単なことだ。しかし戦争の後始末が如何に困難で、恐怖と痛みを伴うものであるかを理解するのはそう簡単なことではない」

「この戦争は恐ろしいほどに間違っている。俺の愛する国はそのために死にかけているのだ。アメリカはベトナムの水田で、ジャングルで、血まみれの瀕死状態にある。そして今、その血は俺たちの住んでいるこの街まで流れ出している」

「間違い?ベトナムが間違いだって?冗談じゃない。調子のいい二枚舌の権力者達が力ずくでこの世界を造りかえるための計算ずくの企みだったのさ。奴らが俺たちを道連れにして沈んでいったその奈落とは、およそ底なしとしか言いようのないほど深いものだった」

「俺は馬鹿だった。無知でお人よしだった。ペテン師。そんな奴らのために俺は殺人者となってしまった。・・そんな奴らのために、俺は自分の命まで投げ出そうとしていたのだ。奴らにとって俺はほんの借り物の銃、殺し屋、手下、使い捨ての道具、数の内にも入らない屑でしかなかった。ベトナムから戻って何年か過ぎ去り、そうした懸念は膨らむばかりであったが、真実がこれほど醜悪だったとは想像すらできなかった」

「・・あのいまいましい戦争を考えてみろ。畜生!まだ続いてるんだぜ。連中に勝てる訳がないさ。勝てたなんていままでなかったのさ。しかしあいつら(ニクソンら)、東南アジアをまるごとディズニーランドの駐車場にしてしまうまで人殺しを続けるつもりでいるんだ。何人死んだって、マイク、ここアメリカでは誰も気にかけない。自分達の息子が死体袋で帰ってこない限りずっと続くのさ・・・」

「奴らはまるで幽霊だ。いいかい、これは第二次大戦とは違うんだ。俺達はこちら側、君達は向こう側、ここが両サイドをわける線とはなっていないのさ。・・誰も見分けがつかない。同じ服装で畑を耕してる。出会うのは全部べトコンかもしれない。そうは見えない奴に限って多分そうなんだ。女、子ども、誰もがそうなんだ。地獄さ・・・」

「トラックに向かって食べ物をせがんでいる群れに、小さな固いレイション缶をなげつけると、あの小さなアジア人の目が、まっさらな雪のように白く変わった。小さな口をあけたまま、小さな腕と足を四方八方に伸ばして飛び上がり、缶があの子達の胸や肩、頭で跳ねかえると、小さな身体はサンドバックのように沈んでいった・・・」

「(交際相手を殴って)やってしまった・・彼女は恐怖を剥き出しにした眼差しで俺を見つめていた・・・・彼女の目は何百という村で何千という顔に俺が見てきたのと同じ目だった・・・」


ベトナム戦争から学ぶことは本当に多い。まだまだ続きそうだ。


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# by oritaraakan | 2018-11-17 11:48 | 読書ログ | Comments(0)  

俺の学校、俺の生き方

「船底に穴があいた中型船」これが俺たちの学校。トップの趣向によって経営方針がきまり、トップのご機嫌をとることだけに力を注ぐ取り巻きたち。やはりそんな船からは当然ながら優秀な船員達が一人二人去っていく。俺はこの船にのっている。俺にとってはご機嫌取りなんて糞食らえなのだが、何と言っても今、俺は自分がしたい仕事をさせてもらっている。そういう意味では俺はこの職場を最大限自分のしたいことを探し出すために利用させてもらっている。現実的には2人の息子を経済的に確実に支えていかないといけないが、何より大事なのは俺が俺らしくいきることだ。2年前に大阪の大手学校法人から日本語学校校長就任依頼があったが、その東大卒経営者がレイシストであることから、断った。その美味しい話に悪臭が漂っていたからだ!嗅覚で俺は人を嗅ぎわける。だから友人を簡単にはつくらない。「群れない・媚びない・へこたれない」それが俺流の生き方。これから世界はどんどん変化していく。常に世界にアンテナを立て、チャンスの波がどこにあるか、見ていくのは面白い^^。俺流を貫きつつ楽しみながら学びを重ねる、そんな生き方をしていきたい。
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# by oritaraakan | 2018-11-17 09:40 | 徒然日記 | Comments(0)  

ヴォ・グエン・ザップ「愛国とは何か」京都大学学術出版会

ベトナム戦争はジェノサイドだけでなくエコサイド(自然破壊)の深い傷跡を残した悲惨で醜い戦争だった。ほとんど農業しか頼るもののなかったベトナムに物質文明の頂点に立っていたアメリカは負けた。1919年第一次戦争の戦後処理を論議するパリ講和会議にグエン・アイ・コック(のちのホー・チ・ミン)は8項目の要求書をもち、ベトナム人愛国者代表として主席した。この要求は嘲笑の対象となり、相手にされなかった。そのころ日本は朝鮮半島の未熟な支配者として、支配者側に回ろうとしていた。客観的にみれば勝てる要素などまったく見あたらないその戦争にどうして勝ったのか?何が支えたのか?それはずばり民衆の祖国愛と愛国心だった。しかも筋金入りの愛国心だ(日本のそれは戦前の神がかり装束をまとった歪な形になっている。特に昨今の集団的自衛権行使については、アジアの一員としての覚悟や戦略のなさを見事に露呈してしまっている)。著者であるザップはテイエンビエンフーの戦いからベトナム戦争、そして現代にいたるまで、戦闘の最前線で指導しつづけた将軍だ。民族の「内発力」「自主的意思」の高揚と一体化を何より重視し、それを「ベトナム戦術」という形に展開させた天才的な軍師だ。中でも際立っているのがB52撃墜技術の練磨と命中率の高レベル化。少ない火力とソ連などから学んだ戦術で最大限の命中率をたたき出し、B52の操縦士を震え上がらせている。その執念と戦略の多様さは舌を巻くほどの内容である(「B52戦闘法」という本ができたほどの研究で35発のミサイルだけでB52を7機も撃墜した)。この攻撃がB52の操縦士の戦意を喪失させ、恐怖を与え続けた。「独立と自由ほど貴重なものはない」というホー・チ・ミンの信条の体現者としてザップは生き抜いた。「敵はどこにもいないが、どこにでもいる」という最強の部隊を築き上げたのだ。もちろん最初からそうだったのではない。第二次大戦後30年間、革命のための戦いを強いられた。戦闘スキルは飛躍的に向上していった。ザップは「新時代におけるヴェトナム人民戦争の無敵の力」という論文にそれをまとめている。要点は党の指導、人民戦争の政治的背景(独立・自由・社会主義)、民衆の力、新戦力、行動戦略、軍事芸術(人民戦争)、時間哲学(時は力)といった内容らしい。ザップは敵から見れば暴力の天才、身内からは無敵の将軍ということになる。彼のモットーは「大速力、大胆、奇襲、勝利への確信」、戦闘方式は「外からの攻撃、内部からの攻撃、勝機に連続勝利」、勝利の決定的要因は「最新兵器を打ち砕くヴェトナム精神」。文中で彼はホー・チ・ミンを「ホーおじさん」と呼び、103年の生涯を閉じるその日まで愛情を抱き、忠誠を尽くした人物だということが見えてくる。

「多くの人がこう質問する。ヴェトナムの人々は一寸の鋼鉄も持たないのに高く頭を上げて奴隷制度の拘束を打ち破り、釣り合いの取れない戦争で帝国主義の2大巨人を追い出し、失地を回復し、社会と人間の解放に進みえた。一体なぜなのか?」

 この質問への答えはヴェトナム精神があるから、ということになる。

「古代ヴェト族は早い段階で生命哲学を育み、形成・発展した民族文化は中核に愛国心があった。たじろぐことなく戦って自然と社会に打ち勝ち、一心同体に結集し、民族にとって最も不利な環境でも勇気と知力を振り絞る精神である」

 この言葉には古来より中国からの侵略に打ち勝ってきた自信が裏付けられている。

さらにこの論理がマルクス・レーニンの理念から出ていることも語っている。

「『邪悪なるものを破るに正義の大義をもってし、暴虐に代えるに寛容をもってする』『数で勝る力に少数で対抗する』『大勝を得るに小兵でもってする』といった論理は弱点を力にかえる弁証法の適用である」

ヴェトナム軍事理論の核は「独立・主権・知性・創造性」であり、「民衆の内発力」がコアの力になっている。あらゆる戦術を毛沢東の「持久戦論」やソ連の戦術から学び、すべてヴェトナム式に再創造しながら戦ったのがティエンビエンフーでありヴェトナム戦争であった。彼らは決してコピーをしなかった。ゲリラ戦術も中国やソ連、フランスがゲリラ戦を「移動戦術」という前提を置いているのに対して、「村の中に留まる」戦術をとった。農民がいつでもゲリラに変身するいう前代未聞のゲリラ戦術をとったわけだ。土地に対する農民の渇望を満たしつつ、抵抗力を最大限に引き上げた形だ。アメリカはかつてない苦戦を強いられ、ついには「石器時代に戻す」と宣言して第2次世界大戦の3倍の爆弾(枯葉剤を含む)を農村に落としてジェノサイドならぬエコサイドという最悪の犯罪を犯した。結果、アメリカは内部から崩壊し敗戦という結果にいたった。アイゼンワー、JFケネディ、ジョンソン、ニクソンが主導した無謀な戦争は自国の多くの若者を死においやり、1968年を基点に世界に冠たる国としての威信を失っていく。

この本は更に俺のヴェトナム戦争史探求への思いを強くした。今度は米軍兵士の眼からみたヴェトナム戦争を知りたいと思った。


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# by oritaraakan | 2018-11-04 12:14 | 読書ログ | Comments(0)  

土田宏「アメリカ1968 混乱・変革・分裂」中央公論社

第二次大戦後、南北に分裂した内紛にフランスにかわってアメリカは介入した。ジュネーブ条約によって1956年に統一選挙をするはずだったのに、アメリカは南ベトナムにこれを放棄させた。アメリカが積極関与した理由で大きいものは「ドミノ理論」。共産圏の拡大を防いで世界の覇権をアメリカが保たなければならないというものだ。アイゼンハワー・ケネディは「軍事顧問団」という名目の軍力をベトナムに送り関与を深める。南ベトナムの混迷に乗じて北は「南ベトナム民族解放戦線(べトコン)」を組織、ゲリラ戦で対抗し、僧侶たちによる焼身デモなども激化する。ケネデイは無能なジェム大統領を見限りクーデターを容認し増兵を加速化させ、遂にはトンキン湾事件という自作自演の事件で北爆を正当化していく。しかし、戦争は泥沼化、遂にはテト攻勢によってアメリカは敗戦への道に落ちていくことになる。本著で新たにわかったのはテト攻勢と北朝鮮の関係だ。テト攻勢の8日前にアメリカ海軍情報収集艦プエブロ号が北朝鮮に突如拿捕され、乗組員83人が連行された。当時は第2の朝鮮戦争かと危ぶまれる事態であった。どうやら北ベトナムと北朝鮮は情報共有し、結託してアメリカ崩壊を目的に起こしたということなのだ。この事件の8日後、テト攻勢が起き、プエブロ号の解決にはなんと11ヶ月も要することになったのだそうだ。 

1968年、アメリカ国内ではヴェトナム反戦運動を機に民主党のマッカーシー旋風が吹き荒れ、ジョンソン大統領を辞任に追いやった。この時代、若者達は大きく変化した。その変化に追い風となったのが「理由なき反抗」(1955)、「猿の惑星」(1968)、「卒業」(1967)、「招かれざる客」(1967)などのカウンターカルチャーだ。「30代以上は信じるな!(猿の惑星)」という台詞が合言葉になり、デモが頻発した。そんな背景から彗星のごとく現れたのがJF・ケネデイーの弟ロバート・ケネディ(愛称ボビー)だった。彼は若者の耳目をあつめるスピーチを繰り返し、黒人や女性、社会的弱者など多くの人々に共感を呼び、次期大統領との声も上がっていたが、1968年凶弾に倒れた。奇しくもキング牧師の暗殺(1968)後、わずかしか経っていない時期である。この2人の死はアメリカ現代史にとってあまりにも大きな損害だった。この1968年を境に「一つのアメリカ」は死んだ。そして「混迷のアメリカ」がスタートする。現在のアメリカはこの1968年を基点としている。

確かにそうだろう。今はその混迷は分裂から憎悪の連鎖に拡大しつつある。恐ろしいことだ。日本政府の今の態度では日本もその渦に巻き込まれそうな勢いである。他人事では決してないと思う。


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# by oritaraakan | 2018-10-28 12:01 | 読書ログ | Comments(0)  

うれしい悲鳴

わがインターナショナルビジネス学科に今日6名の受験者がきた。
みんなN2、N3,N4の所持者だ。いまこの学科に大きな波が来ている。
うれしい^^
今日、学生にあったが、かなりできる子達なのだ!
ベトナム、ネパールの子達だが、とにかくベトナムの子達がかわいくて仕方がない。
来年の入学が待ち遠しい!!!!!!


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# by oritaraakan | 2018-10-20 18:16 | 徒然日記 | Comments(0)  

ドン・オーバード・ファー「TET! テト攻勢」草思社


1968年初頭に南ベトナム共産軍が敢行したテト攻勢は、第二次インドシナ半島のおける軍事行動の頂点である。戦史をみても稀に見る一斉蜂起であった。テト攻勢の最も大きな意義は、アメリカ人の心の中に起きた。正義の戦争ではなく虐殺戦争であることのショックが国民の脳裏に焼きつき、ジョンソン大統領を退位に追い込んだ。戦闘規模はとるに足りないものであったが、マスコミの拠点をあえて残存させることでベトナムのリアルファクトが世界中に発信されたのであった。このテト攻勢は決して南ベトナム共産軍の独自行為ではない。大統領選挙が1968年に予定されていることを念頭に政治的空白期をねらって、北ベトナムが命令を67年には下していたのだ。ホーチミンは全国民に向け68年1月1日に「3100万人のベトナム人全員がレジスタンス戦士になろう!」とラジオで事実上の戦線布告をしている。アメリカもその動きを察していながら対策をとらなかった。まさに慢心・油断から引き起こされたのだった。ベトナム戦争でアメリカは53万という兵隊をベトナムに送り、第二次大戦時の3倍にあたる爆弾をベトナム一国に落としまくった。しかしベトナム人は地下にもぐり、べトコンと農民はレジスタンスになって戦った。ホーチミンの言った通りだったのだ。テト攻勢だけをみれば実はベトナムの被害のほうが大きく、「誰も勝たなかった」軍事行動だといえる。しかしこのテト攻勢を境にアメリカは一気に敗戦に向かっていく、しかも内部から滅びていく。そう、アメリカ国民とマスコミが政府に背を向け始めたわけだ。そしてこの敗戦はアメリカのプライドをズタズタに引き裂くことになる。こういう事態に追い込んだベトナム人民を著者はこう表現している。

「ベトナム人民は雪にたわむ竹にも似ていたが、決してどちらかの方向に折れることはなかった。人々の辛抱強さと用心深さは、サイゴン政府だけでなく共産側の指導をも拒んだ」

事実このテト攻勢では混沌とした状況が展開されていた。いずれにせよ、テト攻勢によってアメリカの過ちが明確になり、内部から崩壊して75年に敗戦を向かえることになる。ベトナム戦争から学べることは多い。新しい探求分野ができた!


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# by oritaraakan | 2018-10-14 00:03 | 徒然日記 | Comments(0)  

ダン・トゥイ・チャム「トゥイー(Đặng Thùy Trâm)の日記 」経済界

ベトナム戦争に医師として志願したトゥイーは死と隣り合わせの戦場で、愛と憎しみ、悲しみを詩情に込めて日記に綴った。彼女の死後、この日記は偶然手にした敵兵(米兵)によって発見される。米兵はこれを燃やそうとするが、同僚の南ベトナム兵士に「これは燃やすな!この日記から炎が出ている!!」と言われ、それ以降この米兵はその内容に関心を持ち、辞書を片手に丁寧に読み解いていく。その中で、いつの間にかトゥイーは米兵の心に染みいり、愛するまでになっていく。米兵はこの日記を35年間大切に保管し、トゥイーの母親を探し続けついに実母のもとに届けたという実話だ。この話に50万人のベトナム人が泣いたという。俺はこの本を県立図書館で偶然見つけた。表題と装丁に惹かれて、偶然に・・・。それからベトナム行きの飛行機の中で、「ある日私は平和の夢を見た」という邦題でこの「トゥイーの日記」の映画をみることができたのだ(題名だけ日本語、音声はベトナム語、字幕は英語)。二重三重に俺の心もトゥイーに奪われていった。日記に描かれたのは日々葛藤の中で勇敢に戦い、恋に悩み、失望から自らを鼓舞しようともがき苦しむ、あまりにも純粋な心をもった女性の姿だった。生き地獄の中で、これだけの日記を書き続けられたというのは並大抵の精神力ではない。特にベトナム人女性の強さ、優しさ、忍耐力、愛にあふれた文章に久しぶりに心の底から揺すぶられた。
「私の脳にはもう消すことのできない、深い皺が刻まれてしまった」
「本当にこの南ベトナムのようなところは世界中どこにもないと思う。すべての住民が戦士となってアメリカ軍と闘う地、敵の流した血が深くしみこんでいる地、戦死した家族のために、誰もが喪章をつけて、それでも戦い続ける地・・この戦闘に加わることができるは光栄だ」
「この小さな日記帳に、いったいいつまでこんな血なまぐさいページが書き続けられるのか!でもトゥイー!書き続けなさい!この20年間仲間が流し続けた血と汗と涙のことを!そして命をかけたこの戦いが終わるとき、書き残す意味、思い出す意味はもっともっと重いものになる。なぜなら、この長い道のりの最後、ようやく目的地にたどり着く日に、私はこの世にいないかもそれないのだから」
「ああ、この血に飢えたアメリカ軍が存在する限り、私たちは苦しみ続ける」
「何らかの愛がなければ人は生きることができないということも私には痛いほどわかっている。愛を知った心は純粋で熱い血液しか受けいれることができないのだ」

トゥイーの言葉が胸に突き刺さってとれない。そして俺の中にあった壁は崩れ落ちた・・・。

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# by oritaraakan | 2018-10-11 01:10 | 読書ログ | Comments(0)  

ベトナムへの想い

ベトナムに今回で10回目の訪問をした。
以前は好奇心の眼だけでこの国を見た。もちろんベトナム戦争というものを少しは意識したがそれでも彼らに対する気持ちは少し他人事だった。しかし、今回、「トゥイーの日記」に出逢い、何か自分の中の心の壁が崩れ落ちた。心から愛しい気持ちになったのだ。「テト攻勢」「ベトコン」といった歴史本も大きな助けになって、この国を縦横に見つめることができるようになった。ハノイ、ハイフォン、ホーチミンとまわる中で彼らの息遣いにふれることができた。おれの家内の甥っ子が9月にベトナム人女性と結婚したことも大きい。俺の親戚にベトナム人がいるのだ!ベトナム人留学生にあった時の気持ちが大いに変化した。これから俺の読書のテーマもベトナムが増えそうだ。いい出逢いをさせてもらった。ありがたい。

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# by oritaraakan | 2018-10-11 00:25 | 徒然日記 | Comments(0)  

ありえないトラブル!!

びっくり!今日卒業生と一緒に安い修理屋に携帯を預けて40分後といわれたが1時間半後にいったら店が閉まっていた!!!!しかも携帯電話にかけても店主はでない!まわりの人たち曰く「たぶん遊びにいったんだろ、あしたならいるさ」と来た!おいおい!俺は明後日早朝には帰るんだぜ!!!ということで、俺の手元には携帯がない!明日届けてくれると卒業生は言ったが、戻る保証もない!!困った!!まあとられたわけではないのだが、いきているといろんなことがある。まあ、ゆっくり待つとしよう。
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# by oritaraakan | 2018-10-04 00:18 | ベトナムにて | Comments(0)  

戦争証跡博物館 忘れてはいけない日本人

沢田教一、一ノ瀬泰造、石川文洋
この3人は日本人なら記憶に留めておくべきだろう。沢田氏は言うまでもなく「安全への逃避」でピューリッツァ賞を獲得した名カメラマン!一ノ瀬、石川は共にベトナム戦争の生々しい記録を現地で命がけでとり続けた戦場カメラマンだ。沢田と一ノ瀬は後にカンボジアで殺されている。俺が尋ねたホーチミンの戦争証跡博物館は彼らの写真で埋め尽くされている。特に石川はこの博物館にたくさんの写真を贈呈し、日本語の解説までつけれられている。ここにも俺がはっきり認知していなかった「忘れてはいけない日本人」がいた!しかし、俺にとって衝撃だったのは枯葉剤の被害写真。おまけに最後の展示館には当事者がスタッフとしていた・・。これが俺にとっての最大の衝撃だった。
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# by oritaraakan | 2018-10-03 03:06 | ベトナムにて | Comments(0)  

クチトンネルへ

今回のオフタイムの大目玉がクチトンネル!ホーチミン市から65キロ離れた地点にあるべトコンの大拠点!「アメリカ敗戦の原因」となったところだ。俺は7年前に理事長と来たのだが、その時は理事長に気を使うだけだった。今回はしっかり自分の目で見て体験してやる!ということで再度体験した。ベトナム人いわく「これは人間の力ではできません!目に見えない魂が作らせたのです」といったがその通りだ。ありえない!ベトナム人の当時の状況は想像するのも困難だ。でも事実ここでアメリカは負けた。それが史実だ。

それからここで当時べトコンがつかっていたA-47カラシコフというライフル銃を打った。もちろん実弾だ!音がすさまじかった!
打ち合うことを想像するとぞっとする。最後に食べたベトコンの主食タライモ!まさにホンマもんのタピオカ!本当にうまかった。
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# by oritaraakan | 2018-10-03 02:33 | ベトナムにて | Comments(0)  

ベトナム日記 景色編

ベトナムの風景
1.ハイフォン
2.ホーチミン
3.カフェ(ホアンキエム湖)
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# by oritaraakan | 2018-10-03 02:19 | ベトナムにて | Comments(0)  

食の探検!

今回の前半戦の初体験を列挙!
1.ハイフォン名物バインダークア(カニ味噌たっぷり海鮮きし麵)
2.ホーチミン名物ラオカーケオ(ケオというコラーゲンたっぷりの魚のスープが酸味が効いて旨い!)
3.ハノイの人気店で買ったバインミー(フランスパンにしっかり肉野菜、ベトナムのスパイシータレ)
4.ハイフォンでひとりサイフォンアイスコーヒー!
5.ハノイにできた良いかんじのカフェで買ったベトナムコーヒー!
6.ちょっと高級な粽料理!
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# by oritaraakan | 2018-10-03 02:07 | ベトナムにて | Comments(0)  

ベトナム日記  マイミッション

今回、自分に課したミッションは大きく5つ。

1.40名の募集
2.新規開拓4校(ハノイ2 ハイフォン1 ホーチミン1)
3.ベトナム戦争の研究(①クチトンネル②戦争証跡博物館③女性博物館④ホアロー収容所跡⑤戦争博物館)
4.食の探検!
5.iphone修理

1はかなり苦戦しているが、2は成功!3もかなりできた感じだ。
ベトナム国内のニーズやコミッションの高騰などだんだん市場が変わりつつある。過信していてはいけない!いつも現場をしっかりみないと足元をすくわれることになる。みんな自然に集まるくらいに思っているのかな??俺も今回はかなり苦戦している。でも善戦したかな?

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# by oritaraakan | 2018-10-03 01:42 | ベトナムにて | Comments(0)  

ショック!! 山本”KID”徳郁の訃報

数年前、アメリカ村にある姉貴の店にいく前に立ち寄ったモスバーガーで、俺は偶然彼をみつけた。他の客は近づいたりしてなかったが、俺は思わず「山本KIDさんですよね!」と話しかけ、いくつかの言葉を交わしている。記念にサインと拳を付き合わせてハイポーズ!もしている。その山本KIDが亡くなった。早すぎる!41歳なのだ。野性味あふれるファイトは不気味で異彩を放っていた。俺は好きだった。残念だ。冥福を祈りたい。
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# by oritaraakan | 2018-09-19 23:17 | 徒然日記 | Comments(0)  

初のラカイン料理

何でも「初」はいいものだ!今回はミャンマーで最近はロヒンギャの問題でスポットがあたっているラカイン地域の料理を体験した。完全に大衆料理だ!労働者とかに混じって現地の人と食べた!見た目はそうでもないが、味が意外としっかりしていて、美味しい。いい体験だった。
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# by oritaraakan | 2018-09-01 21:59 | ASEAN日記 | Comments(0)  

佐藤航陽「未来に先回りする思考法」ディスカバー

結論は「点」でなく「線」で考えよ!ということなのだが、その点が所謂「現在の景色」というところが新鮮だった。テクノロジーの最先端にいる著者がAIの盲点を語っている。「線」はビックデータだけではよみきれないのだ。しかしテクノロジーを知らなければ未来を見抜ける0.1%の人にはなれない。過去のプライベートエクイティ(企業買収+付加価値向上+売却)のような「計画通りに実行すればうまくいく」はもはや「過去のルール」になり、予測不可能を前提で投資するベンチャーキャピタルが今、大きなリターンを得ている。こういった時代背景のもと、「リーンスタートアップ」が一世を風靡している。計画など立てず、変化に応じて修正+変化というスパイラルをしてく考え方、つまり「地図を捨ててコンパスを持つ」ことだ。しかし、これからの時代はリーンスタートアップではついていけない。変化を先取りしなければいけないのだ。そのためのキーワードが「線」の思考なのだそうだ。GoogleFacebookはその思考をまさに実践している。AI関連企業の取り込みは以前からしている。未来をGAFAが牽引しているわけだ。国家はその後ろを追いかけるがアメリカ・中国以外に追いつけそうな国はない。

では、私は何をここから学ぶのか?「現在」(点)に安住しないこと!「歴史」「テクノロジー」(線)に学ぶこと!英語発信の情報を積極的に取り込むこと!

こういう本は時々読むと頭が活性化されていい。


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# by oritaraakan | 2018-09-01 21:48 | 読書ログ | Comments(0)  

ミャンマー出張

3回目のミャンマー!他の地方専門学校が獲得に苦心している国だけに、オイラは胸を張って「市場開拓しました!!」と堂々といえる国になった。有難い!10月には7名、今回の広報も大成功!10名以上の獲得ができそうな勢いだ。70%は悪徳日本語学校といわれるミャンマーで極めて良質な学校と出会えている。FBの威力がかなり効いていると実感!さらに可能性を広げいくぞ!
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# by oritaraakan | 2018-09-01 21:42 | ASEAN日記 | Comments(0)  

初めてのバンコク上陸

ミャンマー出張のトランジットでタイのバンコクに16時間!タイからの出願者にもあったこともあってバンコク市内のホテルに宿泊した。香港やシンガポール同様、空港から市内にはダイレクトで電車でいける。しかも安くて快適!出願者の家族と食事ができたのがとってもよかった。しかし、16時間はあっという間!早朝におきて空港に向かった。
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# by oritaraakan | 2018-09-01 20:05 | ASEAN日記 | Comments(0)  

臼井由紀「愛する人が死ぬ前にやっておくべきこと」日本実業出版

テーマがストレートに俺の目に飛び込んできた!メモだけ残しておきたい。

・死に際を考えることが生きるエネルギーになる。

・愛する人が死んだ後の生きる軸を明確にしておく。

・身内ほどあてにならない!

・執念は人知をこえる!

・一人だから寂しいでなく、一人を楽しめない人が寂しい

・群れない、ぶれない、流されない

・自分が逝った後の愛する人の人生を守ろう! 遺言を書くこと

・社会保障の知識がない=愛がない!

・エンディング会議を1ヶ月に1度もつべし!


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# by oritaraakan | 2018-08-03 13:24 | 読書ログ | Comments(0)