ピョンチャンオリンピック開幕!!

今日、ピョンチャンオリンピックの開会式を少しだが見た。オイラの予想通り最後にキムヨナが出てきた。約30年ぶりのオリンピックという話を聞きながら、この30年間が走馬灯のように蘇った。俺が韓国に渡った時、韓国が俺の人生にここまで影響を与えるとは夢にも思わなかった。しかし、韓国は俺に数多くの感動と驚き、そして恩をもらった。それは人生観を根本から揺るがすようなものだったといっていい。今日からしばらく世界の視線は韓国にあつまる。なぜか自分のことのように嬉しい^^。俺は今年も韓国の素晴らしさをいろんなところで発信しつづける。この恩返しの旅は一生続くだろう。素晴らしい大会になってほしい!!!!
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# by oritaraakan | 2018-02-10 00:35 | 徒然日記 | Comments(0)  

中尾良信「日本禅宗の伝説と歴史」吉川弘文館

禅宗の開祖達磨について恥ずかしながら初めてわかったことがいくつかあった。「洛陽伽藍記」という信頼性の高い記述に「波斯国(ペルシャ)からきた達磨が洛陽の永寧寺の美しさに感嘆し、連日「南無」と唱えて立ち尽くしていた」とあるらしい。そう、中国禅宗の開祖である達磨はインド人あるいはペルシャ人だということだ。確かに達磨図をみると胸毛も濃いし?風貌も中東系だ。今の禅宗は六祖と呼ばれる慧能が祖と仰がれている。日本の禅宗は開祖として栄西の存在が昔から取り上げられてきたが、著者は中国天台宗の開祖、南嶽慧思の生まれ変わりとしての聖徳太子が達磨と出会っていたという伝説について「元享釈書」を元に紹介している(この伝説を日本に持ち込んだのは鑑真)。

日本の禅宗伝来に大きく貢献したのは最澄である。桓武天皇の後援で中国にわたり、中国天台宗等から学んだ最終結論は4つの教え(法華円教・菩薩戒・禅・密教)であった。円・戒・禅・密教の「四宗相承」が日本天台宗の基となっている。実は「南嶽慧思の生まれ変わりとしての聖徳太子」は天台宗が後日主張していったらしい。

日本史の教科書をみると建仁寺の開山である明庵栄西が「日本禅宗の開祖」とされている。これは前後日本史教科書の中心人物となった家永三郎氏の「日本禅宗=宋朝禅の伝来=鎌倉時代」という主張が色濃く反映されている。著者はここにかなり疑問をもって本著を綴っている。栄西は鎌倉幕府の帰依をうけることで、政治的に優位に立ち、いわば禅宗始祖の栄光を手にしたのだ。栄西の禅宗は密教色が強く、道元の密禅併習とは一線を画す。道元は祗管打座というものを志向し、純粋禅の方向性をとり曹洞宗としてまとまっていく。鈴木大拙が取り上げた盤珪禅師の話はまったく出てこなかった。筆者の関心が「栄西が本当に日本禅宗の開祖か?」というところにあったためなのだろう。少なくとも日本の禅宗は栄西以前から仏教の中にあったということは間違いないだろう。禅宗の縦軸が見えた点が収穫だった。


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# by oritaraakan | 2018-02-04 18:05 | 読書ログ | Comments(0)  

イアン・ドールテイン&クリス・クターナ「新たなルネサンス時代をどう生きるか」国書刊行会

原題は「AGE OF DISCOVERY」とある。オックスフォード大学気鋭の学者2名による共著だ。

副題は「開化する天才と増大する危険」とある。現代社会はかつてのルネサンスの時代と極めてよく似ている。ただし、ルネサンス=文芸復興ではない。その後ろに忍ぶ危険もあるし、実際ルネサンス期に恐ろしい病疫や戦争が待ちうけていた。本著で扱うルネサンス期は1450年~1550年の100年である。この間にフィレンツエやローマから世界的な芸術、文芸、技術が雨後の竹のように生まれた。ミケランジェロ、ダヴィンチ、グーテンベルク、コロンブス、ガリレイ、マキアヴェリ、ルター等天才が開花した時代だった。これらの正の遺産の象徴はダヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」である。円は調和のとれた完璧な天、正方形は4角、4元素、四季=地、それらの背景の中心に人間をおいて万物の主としての潜在能力をしめしている。もちろん負の遺産もある。芸術的な天才が開化する一方、南アメリカに天然痘などの病疫を持ち込み、また力の論理で征服し、その文明を完全に破壊したのだ。

1990年以降の世界はどうだろう、ベルリンの壁が消え、ソ連が崩壊し、中国は自給自足の国から世界最大級の経済大国になった。インターネットが登場し全世界の半数がネットにつながる世界が実現し、知識や情報はメデイアを通さず無料で獲得できる世界が実現し価値観も大きく変化した。いまや一国だけの経済など存在せず、貿易物品が25%をしめる世界が実現した。人間の移動も大きな影響を与えている。シリコンバレーはほとんど移民の技術者がしめている。移民がイノベーションをもたらし世界の文明をリードしているのだ。事実インテル、グーグル、ペイパル、テスラの創業者は移民である。いままだ話題になっていないアフリカは世界最大級の都市を次々に生み出していくだろう。いまやAIが世界を席巻する時代を目の前に迎えている。負の遺産として格差の拡大と不安・不満の増大、憎悪の増大などがその勢力を拡大化させている。ネットが世界を滅ぼす武器にもなりうる大変な時代を生きている、そんな現代に必要なものは「展望」だ。ゴリアテに立ち向かうダビデにならなければならないし、ダビデの姿を展望として可視化しなければならない。その答えはどこにあるのか?「歴史」しかも「ルネサンス期の歴史」にある。ダビデになるためのヒントがたくさん紹介されていたが、俺のアンテナに引っかかった項目を4つ記しておきたい。

・新しい地図をつくりだすこと

・違いを探し求めること

・教育を生み出すこと

・芸術を愛すること

本著でまた新しい関心の襞ができた。次の読書に生かしていこう。


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# by oritaraakan | 2018-02-04 18:02 | 読書ログ | Comments(0)  

感動!

先週金曜日、卒業成果発表会&国際交流会を実施した。今年度は初めて卒業学年をもっていないこともあって余裕をもってみることができたが、一方でどんな発表になるのか心配だった。特に初めて担任を務めるF先生は東大出身の学者タイプだし、学生は学生で問題行動とかやんちゃな行動をする学生も数名いるなかなかのクラスなのだ。正直どんな発表になるのか少し不安だった。予行演習でもまだバラバラで息もあっていなかった。しかし、そういった不安は杞憂にすぎなかった。当日になって彼らは自主的に「スーツで参加しよう!」と言い出したらしく、ビシッときめてきた。しかも本番での出来が奇跡的にすばらしくまとまっていたのだ!出席した介護系施設長など多くの方は感動して目を潤ませていた。その発表はベテラン教員K先生のクラスより数倍光っていたのだ!いやあ、こういうこともあるんだなあ。久しぶりに学生自らの力でつくりあげたすばらしい作品をみせてもらった感じ^^。交流会も大変盛り上がり、感謝感謝のひと時だった。留学生のみんな!感動をありがとう!!


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# by oritaraakan | 2018-01-28 20:02 | 徒然日記 | Comments(0)  

和多利月子「明治の男子は星の数ほど夢を見た」産学社

副題は「オスマン帝国皇帝のアートディレクター山田寅次郎」とある。著者の祖父なのだそうだが国交もなかった時代にトルコと日本の架け橋になった人物なのだそうだ。実業家、茶人、茶道宗猵流の第8世家元であるが、明治25年(1892年)にエルトゥルールル事件の義捐金を届けにトルコに渡って以来、日本とトルコの交流に深く関わった人物としても知られている。日露戦争前の日本がトルコを重要拠点とみていたこともあるが、何より寅次郎のバイタリティが多くの人の心を動かしたのは事実だ。彼が大事にしていた心がけは「人が考えないことをすること、物事には複数の考え方と方法論があること、人生を豊かに楽しむこと」であったらしい。家訓には「男子たるもの最低3ヶ国語を習得する」というものもあったというから面白い。幸田露伴とは飲み友達だったらしく、小説「書生商人」のモデルにもなった人物なのだそうだ。彼の業績として当時未知の国だったトルコ民族の習慣や町の様子を克明にスケッチした「土耳古書観」という本を出版したことがある(2016年に復刻版を出版)。本著は当時のトルコの様子が良くわかるものなのだそうでトルコと日本の交流史においては大変な価値のある書物だそうだ。ぜひ、読んでみたい。

あと、本著で知った人物、寅次郎の友人である建築史家の伊東忠太に興味をもった。彼の考え方で面白いのが「滑稽=悲劇を一瞬笑い飛ばすことの救い」なのだが、関東大震災後の復興工事で湯島聖堂や一橋大学兼松講堂の再建をする際、わざと妖怪の装飾を施すなど、破天荒な発想で物事に接したらしい。かといっていい加減な人ではない。日本初の建築史論文は法隆寺に関することだが、これを書き上げたのが伊東氏なのだ。彼が発想の基にしたのが「野帳」というメモ帳。絵つきの繊細な建築描写は日本の宝といっていいだろう。まだまだ知らないことだらけ!だから面白い。またこの2人をきっかけに世界をみていきたい。


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# by oritaraakan | 2018-01-21 23:14 | 読書ログ | Comments(0)  

出村和彦「アウグスチヌス 心の哲学者」岩波新書

アウグスチヌスから影響を受けた哲学者は多い。パスカル、フッサール、ヴィトケンシュタイン、ハント・アーレント等、特に著書「告白 全13巻」がその後のキリスト教に与えた影響は数知れない。心を心臓として記述しハートマーク=愛となっていることもこのアウグスチヌスに由来している。アウグスチヌスが生まれたのは354年ローマ帝国末期、北アフリカのタガステという地だった。キリスト教もまだその形を完成できていない時期だ。彼は小作民の息子として生まれ、敬虔なカトリック信者の母親モニカから大きな影響を受けた。通っていた文法学校では修辞学等を学び、成績は抜きん出ていたが、経済的な理由で学校に通えない時期もあったらしい。そういう時期に仲間と梨畑から梨を盗んだことが大きな罪悪意識につながり、心に関心をもつきっかけになった。盗みという罪悪行為に対する意識より仲間との連帯を愛したという。人間の弱さ、心のあり方にその後焦点を置いて物事を探求するようなる。もちろん恋愛や友情、死別も大きな影響を与えている。

人間は困難な状況に追いやられると心の不調和をきたす。誰もがそういう弱さをもっている。その

人間的な弱さの裏返しとして、徹底した聖書研究と哲学探求に没頭することになる。その結晶が「告白」につながっているのだ。彼自身はキケロから大きな影響を受けている。簡潔にいうなら利他心と利己心のせめぎあいの中で如何に愛を実現していくかということだが、そのプロセスが何よりも重要なのだ。俺は最近、どちらかというと禅思想のほうに共感するのだが、西洋思想の根底にアウグスチヌスは大きな位置をしめいているだけに、一度は「告白」を読む必要があるだろう。


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# by oritaraakan | 2018-01-21 23:12 | 読書ログ | Comments(0)  

鈴木大拙「鈴木大拙全集 第1巻」岩波書店

遂にこの全集という旅路に入った。しかも鈴木大拙という途轍もない哲学者。そう簡単には進んでいけないだろう。そう思ってこの全集を読み解くための大型のCampusノートも準備して取り組んでみた。1ヶ月とみていた読破期間は2ヶ月に及んだ。正直難解なところは読み飛ばした。でもワクワク感は何にも代えがたいものがある。

この第1巻では禅の歴史の概要と大拙が愛してやまない盤珪禅師の不生禅のことが書かれている。禅の始祖は6世紀の達磨であるが、その後現れた慧能によって座禅による精神修養といった側面が出てくる。この流れを汲むのが日本禅宗である。日本の禅宗には一般的に2つの大きな流れがあり、一つは道元による曹洞禅(鎌倉時代)、もう一つは白隠による臨済禅(江戸中期)である。前者は「正法眼蔵」の研究によるアカデミックな禅宗、後者は宋代の看話の影響をうけ、論理的話法としての禅宗であった。しかし見落としてはならない禅師がいる。すなわち盤珪である。彼は江戸前期、すでに形骸化しつつあった曹洞禅に対し、庶民目線の平語による不生禅をといた。この盤珪がいなかったら臨済禅はあらわれていない。所謂、禅の命脈を救った人物だといっていい。では不生禅とは何か?キリスト教では不滅を使う。これは生を前提としたものだ。仏教では涅槃が生死に関係したものになっている。しかし、不生というのは如来を意味し、迷いの世界に生を受けたものではない。生と死という二元的思惟に縛られない。生死を超えた永遠性なのだ。これは生死を超えた絶対自己肯定の世界でもある。良いとか悪いという前に即不生と切り込んでいく。悟りというものによって新しい世界を開く公安禅でもない、無師独悟の世界だ。特権階級に独占されつつあった禅にアンチをたたきつけ、平民に取り戻した訳だ。ひいていえば盤珪にスポットをあてた大拙も禅の恩人であることは間違いないだろう。俺は禅に関心があるわけではないが、考え方としてどこか深く共感するものがある。時間はかかっても「鈴木大拙全集」というこの旅路は進んでいきたい。


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# by oritaraakan | 2018-01-18 06:59 | 読書ログ | Comments(0)  

ピカート「沈黙の世界」みすず書房

「言葉は沈黙から、沈黙の充溢から生まれた」

「言葉は沈黙の裏面に過ぎない。だから吾々は沈黙を通して言葉を聞くことができる」

「正しい言葉とは沈黙の反響に他ならない」

「音楽は夢見ながら響き始める沈黙だ。音楽の最後の響きが消え去った時ほど、沈黙がありありと聞こえてくることはない」

「沈黙は言葉なくしても存在し得る。しかし、沈黙なくして言葉は存在し得ない」

「沈黙の容積は言葉の容積より大きい」

「現代の憂鬱の大部分は、人間が言葉を沈黙から切り離すことによって言葉を孤独化したことに起因している」

本著はまるで「沈黙を語る詩」のような本である。現代社会を「ラジオ社会」と呼び、絶え間ない騒音で沈黙はかき消され、生命の声を聞くことを忘れてしまったという。この喧騒の最大の敵は沈黙と沈黙を背景とした真実の言葉。ラジオ社会はなんとしても喧騒の世界を守るために騒音を出し続ける。世の中に戦争などの暴力があふれても、そこに命の叫びは感じない。恐ろしいほど本来の感性を失った人間。そんな人間を哀れむが如く、著者は「ラジオ社会」をこう表現する。

「沈黙はただ休んで力を蓄えているだけだ。(中略)喧騒は沈黙に打ち勝った勝利者でもなければ沈黙の主人でもなく、逆に主人である沈黙が眠っている間、がやがや騒ぎながら見張りをしている召使いなのである」

確かに自然の中に入って山の音、海の音、風の音を感じたとき、喧騒は雑音でしかないという感覚はある。著者はキリスト教的な二律背反思想から沈黙を表現しているが、そこは俺と少し違う。沈黙の中に神を感じたりはしない。それよりは禅でいう不生の境地がピタッとくる。沈黙は大切だ。俺は毎日ではないが、一人机に向かって日々の思いを手帳に綴っている。そのひと時の沈黙は真の言葉に出会えるきっかけになっている。本著を書くために著者はどれだけ沈黙を見つめたのだろうか。考えれば考えるほど面白い。


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# by oritaraakan | 2018-01-08 23:24 | 読書ログ | Comments(0)  

後藤広史他「ソーシャルワーカーのソダチ」生活書院

わかるようでわからない分野。しかし、これからの未来を考えると極めて重要な分野。少し知ってみたいという好奇心で読んだ。著者は地方の短期大学でソーシャルワーカー育成に携わっている教育者だ。俺と同じ教育現場の人だ。ソーシャルワーカーとは具体的にどんな職業なのか?わかっているようでわからない。ケアワーカーと何が違うんだろ?正直なところ明確な境界線ははっきりしていない。「社会福祉士及び介護福祉士法」の誕生でその曖昧さが一層高まったらしい。ソーシャルワーカーに該当する職業は多岐にわたる。児童福祉司、知的障害福祉司、社会福祉協議会職員、特別養護老人ホーム相談員、児童指導員、障害者施設支援員等・・。資格としては社会福祉士、精神保健福祉士といった国家資格だが、日本標準職業分類には出てこない。つまりソーシャルワーカーが職業として育っていないという現実があるということなのだそうだ。俺は初めて知ったのだが、ソーシャルワークのグローバル定義がある。

「ソーシャルワークは社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する実践に基づいた専門職であり学問である。社会主義、人権、集団的責任および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは生活課題に取り組み、ウェルビイングをたかめるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。この定義は、各国および世界の各地域で展開してもよい」・・なんとも長ったらしい・・という印象。まずこの定義を変えたほうが良くないか?なんて素人考えに思ってしまうが、業界ではこれをもとに教育が展開されているらしい。

本著を手にとってみて有益だったことが3つある。1つは「ソーシャルワーカーの掟」がわかったこと、2つめはソーシャルワーカーのルーツがわかったこと、3つめはソーシャルワーカーの課題について認識が深まったことだ。1つ目の掟だがこれは「利用者と私的な関係になってはならない」つまり物の授受等は絶対にしないことなのだそうだ。どこまでも公的な立場としての中立性をはかることが重要なのだろう。2番目のルーツは「ケースワークの母」といわれるM・E・リッチモンドという方だそうで、1905年に発表した「改革の小売的方法」が今後のソーシャルワーカーのあり方にヒントになるそうだ。3つ目は専門家視線からの脱皮・・・ようするに答えのない分野であるから、常に利用者の目線に立つことが求められているし、「教えない教育」(学生に余白をあたえる教育)が大事になってくるというわけだ。今時のことばでいえばアクテイブラーニング型学習ということになってくるだろう。

利用者はどこかで負い目をもっており、彼らが「人の役に立ちたい」と思っている場合も多い。それを読み解くことで対応のしかたも違ってくるわけだ。ステレオタイプの対応は害のもととなる。これは教育の現場に直結する内容でもある。どんな職業でもコアになるスピリットはあるはずだ。それを忘れたらマイナス要因しか残らない。このソーシャルワークは別に特別なステージのことでなく俺たちが生活の中ですべき哲学・スキルなんだろうな・・ということを感じた。そして俺は留学生指導員、日本語教師、専門学校教員としてのスピリットをいつももって仕事をしていくべきだろう。


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# by oritaraakan | 2018-01-08 00:34 | 読書ログ | Comments(0)  

郡司正勝「歩く」シナノ出版

「郡司かぶき」と呼ばれる歌舞伎の名作を生んだ歌舞伎作家であり演出家。俺はその存在を聞いたこともなかった。この本はそんな郡司氏のエッセイ集となっている。彼は歌舞伎の元々意味である

抵抗精神が現代において瀕死の状態にあることに危機感を感じ取り、常識にあてはまらない本能から出発する歌舞伎を作り上げた。その一例が「歩く」だ。この歌舞伎には明確なプロットがない。役者の肉体がそれを作り出すという歌舞伎だ。まさにアヴァンギャルドといっていい。岡本太郎のようなものだ。歌舞伎という一見伝統芸能の王道の分野に、こういう人がいたということは面白い発見だった。もうこの方はこの世にいないが、演劇は一度見てみたいと思った。

<印象に残ったことば>

・食えないということも大事な、生きていく道の根本的原理です。食えないことを出発にしなければ動物なんて一人前になれない。親が保護ばかりしていてはいけない。

・意味のない台詞があってもいい。肉体が聞き取れればいい。

・表現するということは捨てるということだ。

・想は高く、眼は低く。ただし、高すぎても低すぎでもいけない。

・歌舞伎は当て字で本来は「傾き」である。旧体制や旧習といった日常への抵抗であり、それを表現するものだ。

・江戸時代の眼はいくつもの世界を同時に一緒に見ることができた(複眼的構造)。トンボの眼だった。

・歌舞伎の七変化は東西共に共通する聖数であり、人間の生命を司どる数である。

・世の中はどんどん悪くなって、危機感が高まっているはずなのに。なぜかみんな目をつぶる方向で、芝居までが時間つぶしとか、現実を見ないで済むような時間にもっていってしまっている。


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# by oritaraakan | 2018-01-08 00:02 | 徒然日記 | Comments(0)  

ドゥニア・ブザール「家族をテロリストにしないために」白水社

副題は「イスラム系セクト感化防止センターの証言」とある。多くの若者がISなどのイスラム過激派組織に感化され、テロリストに身を投じいった。彼らを救い出すために2014年に「イスラム系セクト感化防止センター(CPDSI)」は創設され、少しずつ成功している。彼らがなぜ過激思想に染まっていくのか?その現状と過程を赤裸々に綴っている。ISやアル・ヌスラ戦線は自分の都合の良い解釈でジハーディストという言葉を使っている。引き込み方はビジュアル中心だ。刺激的でエンターテインメント的な要素の強い画像、正義感を煽り、美しい音楽と詩などを散りばめて、陶酔させる。「真の正義を成しとげる戦士」「世界の幸福のために立ちあがらなければ!」といった意識を植えつける。まさに洗脳というやつだ。そこには陰謀説が多く使用される。一度染まったら映画やテレビは見なくなる。「穢れから身を守れ」と洗脳されるからだ。そうすることで世間から遮断され、孤立は深まり、ますます熱心な偽ジハーディストとなっていく。偽ジハーディストは指導者のために人間性をすて、自分を犠牲にして大儀を果たすことで愛されていると感じるようになる。実に恐ろしいことだ。でも紙一重の若者は世界にたくさんいるであろうことは容易に予測できる。こういった思想に染まったわが子を救おうと必死になっている親たちがたくさんいる。この断絶をうめる唯一の手段が「思い出の共有」「絆の確認」であるらしい。そのために思い出の場所にもいってみる・・。そうして実際に戻ってきた若者が出てきている。100人を救ったらしい。しかし、戻ってきても「自戒と孤独」に襲われる日々が続き、もとに戻れる若者は実際いないらしい。悲しいことだ・・。社会に格差と差別が存在する限り、この危険性は常にある。安心はできない。日本からもそういう人は実際に出ている。第2第3の偽ジハーディストがでることのないように、多文化を包括できる社会がはやく実現しないといけない。俺もその一翼を担う存在だと思っている。しっかり記憶に留めておこう。


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# by oritaraakan | 2018-01-07 00:49 | 徒然日記 | Comments(0)  

ロベルト・ユンク「テクノクラシー帝国の崩壊」藤原書店

著者はドイツ出身のユダヤ系ジャーナリスト1994年に亡くなっており、この著作は1988年に出ている。反核運動の旗手としても有名でヒロシマ被爆を欧州に伝えた。また、ザルツブルクに「未来問題のための国際図書館」を設立するなど、未来の問題に向けてあらゆる可能性を模索する運動家でもあった。歴史的にみると啓蒙と抵抗は繰り返しながら支配者の権力をさらに強める結果をもたらしてきた。民主主義の礎とされるフランス革命の自由・平等・平和も結局は更に進化した支配体制を生む結果となった。技術の発達は人間を解放するものであるはずが、人間を更なる危機にさらす結果をもたらした、その象徴が原子力帝国だ。これを支配するテクノクラートと技術者が危険性を隠蔽し利権をむさぼっている。ここには民主主義は存在しない。現代社会では機構の中で従順にその役割を果たすものが評価をうける。受動性がさらに高まり、理性の腐食が進んでいる。農業においても売れる種だけが重んじられ、種の多様性は否定されていく。この代案としてユンクは「未来工房」というものを提案し実践した。技術者と市民運動が一体となったものだ。この集まりでは批判を排除せず、多様性を包括する。自分の意見がいえるので人々は大いなる創造力を発揮する。失敗をしてもそこから学ぶという哲学がコアとしてある。「実験的世界」から世界は変わっていく。このユンクの予言と希望は未だ達成されていない。しかし、今という時代をどういきるか!についての指針は明確だ。「どうせ・・」はわが身を滅ぼし、社会も崩壊させる。だからこそ思索と挑戦はわが身を守り、この社会を崩壊から守る盾となりうる。その努力を怠ってはならない。


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# by oritaraakan | 2018-01-07 00:05 | 読書ログ | Comments(0)  

新年をむかえて

2018年はいろんな意味で覚悟が必要な年になりそうだ。仕事面では組織の大改編と人事、家庭的には親の介護の本格化と子供たちへのさらなる支援、個人としては出版の準備開始と姉貴とコラボしての事業計画立案等・・目白押しだ。まずは自分がどんな状況においても「環境の奴隷」=「忙しい人」ではなく「環境の主人」=「学ぶ人」になって突き進んでいきたい。その一つの道しるべとして、いくつかの本をセレクトできた!潮見坂の海でまた誓いを立てて出発した。良い一年にしたい。
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# by oritaraakan | 2018-01-04 21:58 | 徒然日記 | Comments(0)  

アミちゃん夫婦が来る^^

以前オイラの学校に「初のワーキングホリデイ留学生」として来ていたキムアミが、あさって来る!約8年ぶりの再会となる!この間、彼女は韓国でアナウンサーとしてデビューし、昨年結婚した。いつも「おとうさん(アッパ)」と言って慕ってくれる子だ。オレも完全に娘のような感覚で接してきた。昔の韓国語講座の受講生も呼んで再会だ!うれしい^^ 会えるのは28日夜だけだが、楽しい時間を満喫しよう!
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# by oritaraakan | 2017-12-27 15:07 | 徒然日記 | Comments(0)  

激震、走る!

今日きいたのだが、先日の親学論文はなんと高橋教授に届けられていた!理事長がそこでどうわたしたかは不明だが、「渡した」という事実がすごいことだと思った。で、高橋教授は当然「不合格」。しかもオレの論文が当学園唯一の論文だったためにまるで「学園の総意」のようになってしまったそうで、理事長と高橋教授の間に亀裂を生じさせていたみたいだ。このままいくと親学がこの学校からなくなるかもしれない・・・そんなところまでいってしまったらしい。だとすると、オレの責任問題??にしようとする奴もでてくるだろうな。超ゲス男のK校長は「出し方をもっとかんがえたほうがよかった」とかホザきやがった。オレに論文書けっていったの誰や?30年前のオレならとっくに蹴りが入っている!まあ、とにかく一つの論文で激震が走っている。とにかく情勢を見守りたい。
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# by oritaraakan | 2017-12-21 13:24 | 徒然日記 | Comments(0)  

理事長からの呼び出し

理事長から呼び出しがかかった。親学論文のことだ。俺はかなり批判的にこの論文を書いた。だからお叱りを受けると思い、「半分ドキドキ!半分わくわく!」理事長室へ。案の定「懸念事項がある」ということで数ページにわたって指摘があった。ありがたいことにオイラの原稿にたくさんのラインが引いてあり、メモの跡もあった。かなり読んだかんじだったのだ。聞いてビックリしたのだが、先日の親学講師認定講座に出た16名のうち、論文を出したのはたったの2名だったそうだ。オイラの学校からはたったの1名、つまりオレだけだった。しかも内容は親学の問題点をガンガン突きつけて「これじゃあかんやろ!!」という内容。てっきり小論文書き直し??と思いきや、そうではなくてほっとした。「これ合格するために書いてないよね」といわれて「はい、そうです!」とキッパリ!理事長は「取り巻き達」にいつも持ち上げられていただけに、現場の批判的な声を初めて聞いてかなりショックだったらしい。この余波がどのように展開していくか、オレにもわからないが、俺は俺としての筋が通せた。今のところストレスフリー^^。いつか地獄が待ってたりして・・・。
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# by oritaraakan | 2017-12-19 17:31 | 徒然日記 | Comments(0)  

申し訳ない!

俺が2年前から新たに担当してきた幼児教育学科。学科再編で生き残りをさせるために散々SWOTで考えてきた。一時は一点の光明がさしたかにみえたが、結果は死刑宣告だった。募集停止・・。なんか結論ありきの議論という雰囲気がありありで、悔しいというより怒りがこみ上げてきた。校長とY部長は結論を出してレースに臨んでいたわけだ。「だったら早く言えよ!」って感じなのだ。俺が担当する日本語学科、インターナショナルビジネス学科、幼児教育学科という「守るべきもの」の一つを守れなかった!正直辛い・・・。教職員達に申し訳ない・・。
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# by oritaraakan | 2017-12-13 23:08 | 徒然日記 | Comments(0)  

県民カレッジ

今日で今年度の県民カレッジが終了した。今回は久しぶりに授業アンケートをとったのだが、本当に嬉しい意見が満載だった。県民カレッジでの「歌と文化で学ぶ韓国」は、もともと今の俺を生んでくれた韓国への恩返しのために始めたものだ。もう12年になるが、年々自分にとっての充実度が増している。毎年発見の連続なのだ。こういうことがボランテイアでできる県民カレッジの取り組みに感謝したい。受講生の皆さんともっと話し合う時間を取りたかったなあ・・と思いつつ、また来年も新しい角度から講座を組んでいきたい。
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# by oritaraakan | 2017-12-11 00:39 | 徒然日記 | Comments(0)  

超ポジティブ男 2

次男坊から電話がきた。「ついにやった!!」なかなか入れなかった25秒ダッシュ×10本で、合格したらしい。サッカー部の獣たちから大量の「おめでとう!」をもらい、かなりテンションがあがっている様子。昨日、総監督から「一人でコツコツちゃんとやってますね。必ず結果が出て来ると思います」というお褒めの言葉をもらったばかりだっただけに喜びも一入だったみたいだ。「やっとスタートラインに立てたよ!Jユースメンバーを抜いていくからね!」とまたまた自慢話炸裂!まあ、今日は俺も手放しで「ようやった!どんどん行け!」と励ましてやった。これから山あり谷ありだろうが、こういう成功体験を積み上げていってほしい。
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# by oritaraakan | 2017-12-11 00:31 | 徒然日記 | Comments(0)  

超ポジテイブ男

進学校から、わざわざJリーグユースメンバーが集まる「虎の穴」(1部リーグ大学のサッカー部)に入部して8ヶ月!最初はどうなることかとヒヤヒヤしたが、なんとかうまく立ち回っている。正直言ってチビの次男坊は「いじられ役」でかなり苦労した。しかし、最近少しずつ評価してくれる人がチラホラ出てきている。先日先輩から「基本的にまだ下手だけど、足元のテクニックでいうとプロに一番近いかもな」と言われ、またまた自慢話が炸裂!「オレはやっぱりプロしかない!」ときた。正直言って現実が見えていないが、散々言われているにも関わらず、この一言だけでここまでモチベーションをあげられるのはオレにもできない芸当だ。この1年自炊生活をして結構成長した。家を出て正解だったと思う。家内は今でも「家にいたらよかったのに・・」とか言ってるが、違うと思う。「虎の穴」で獣たちに揉まれながら更に成長していってほしい。
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# by oritaraakan | 2017-12-04 18:12 | 徒然日記 | Comments(0)