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ピカート「沈黙の世界」みすず書房

「言葉は沈黙から、沈黙の充溢から生まれた」

「言葉は沈黙の裏面に過ぎない。だから吾々は沈黙を通して言葉を聞くことができる」

「正しい言葉とは沈黙の反響に他ならない」

「音楽は夢見ながら響き始める沈黙だ。音楽の最後の響きが消え去った時ほど、沈黙がありありと聞こえてくることはない」

「沈黙は言葉なくしても存在し得る。しかし、沈黙なくして言葉は存在し得ない」

「沈黙の容積は言葉の容積より大きい」

「現代の憂鬱の大部分は、人間が言葉を沈黙から切り離すことによって言葉を孤独化したことに起因している」

本著はまるで「沈黙を語る詩」のような本である。現代社会を「ラジオ社会」と呼び、絶え間ない騒音で沈黙はかき消され、生命の声を聞くことを忘れてしまったという。この喧騒の最大の敵は沈黙と沈黙を背景とした真実の言葉。ラジオ社会はなんとしても喧騒の世界を守るために騒音を出し続ける。世の中に戦争などの暴力があふれても、そこに命の叫びは感じない。恐ろしいほど本来の感性を失った人間。そんな人間を哀れむが如く、著者は「ラジオ社会」をこう表現する。

「沈黙はただ休んで力を蓄えているだけだ。(中略)喧騒は沈黙に打ち勝った勝利者でもなければ沈黙の主人でもなく、逆に主人である沈黙が眠っている間、がやがや騒ぎながら見張りをしている召使いなのである」

確かに自然の中に入って山の音、海の音、風の音を感じたとき、喧騒は雑音でしかないという感覚はある。著者はキリスト教的な二律背反思想から沈黙を表現しているが、そこは俺と少し違う。沈黙の中に神を感じたりはしない。それよりは禅でいう不生の境地がピタッとくる。沈黙は大切だ。俺は毎日ではないが、一人机に向かって日々の思いを手帳に綴っている。そのひと時の沈黙は真の言葉に出会えるきっかけになっている。本著を書くために著者はどれだけ沈黙を見つめたのだろうか。考えれば考えるほど面白い。


by oritaraakan | 2018-01-08 23:24 | 読書ログ  

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