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津森滋「ミャンマーの黎明」彩流社

経済発展を続けているタイなどの東南アジアと21世紀を先導するであろうインドなど南アジアとの結節点にありながら、すっぽりと落ち込んでいた「ミッシングリンク」のミャンマーが、今むっくりと立ち上がろうとしている。インド洋への進出に戦略的利益を見出してきた中国、長い断絶関係を回復させ、投資を開始したアメリカ、その他進出を加速化させている韓国・日本などが「東南アジア最後のフロンティア」に注目している。ミャンマーは19世紀、3回にわたる対英戦争で敗北し植民地化された結果、3つの大きな痛手を負っている。
①王政を根幹とする国家体制の崩壊
②外圧による革命が与えた強烈な屈辱感
③インド帝国に組み入れられた心理的負担
ミャンマーを理解するキーワードとして「ウンタヌ精神」がある。これはカリスマや思想に依存することなく、強烈な愛国、憂国を泥臭く発揮しいく曖昧模糊とした精神、どんな状況でも生き抜く精神のことだ。ゴビ砂漠の一端から南下したビルマ人の「砂漠のメンタリティ」がそのルーツとなっている。その精神を発揮した一つの事件がミャンマーの聖地、シュエダゴン・パヤーの「靴騒動」だ。俺もこの聖地に行ったが、必ず入り口で素足になることが義務付けられているところだ。イギリス人はこの聖地に土足で踏み入り、その習慣を完全に無視し、仏像を略奪した。これに徹底抗戦したビルマ人の力に驚き、当時の英国もこれを改めざるを得なかったという史実がある。この英国という外圧から「仮の解放」を手伝ったのが日本であり、その日本がエリート育成した「30人の同志(ビルマ独立義勇軍)」である。その中には独立の戦士アウンサン、長年ビルマを牽引したネウィンなどミャンマーの国づくりの根幹を成したリーダーが含まれている。もちろん日本がビルマを支援したのは明確な理由がある。資源確保だ。ビルマには石油・鉛・タングステンなど豊富な資源がある。当初この同志達を育てた鈴木機関長は真にビルマの独立に理解を示していた人物であるが、この意思は大本営のものとは違っていた。英国の勢力を避け、日本の支配下となるや、日本は朝鮮にしたような植民地統治を展開することで、ビルマの民衆に大きな失望を与えることになる。ここに立ち上がったのがアウンサン将軍であった。当時のアウンサンの言葉が残っている。
「真のデモクラシーは人々の合意によって国家が存在し、理論的にも実践的にも国家が自身と人々の利益を同一化する場合にのみ存在しうる。・・すべてのデモクラシーが真のデモクラシーではない。あるものはデモクラシーを装った資本家階級の独裁を隠す不完全なデモクラシーである(日本のこと)」
戦後、日本から独立したものの、60年代に政権を握ったネウィンは独特な社会主義を標榜し、国民は貧困を迫られることになる。これに抵抗したのが後に「ビックフォー」と呼ばれる民主化のリーダー達だ。この4人はアウンサン・スーチー、ティン・ウ、アウンジー、ウー・ヌーである。
(ネウィンは国内的には大変なバッシングを受けていたが、対外的には・・特に対日的には極めて良好な関係を構築し、日本からの資金協力は357億円に達していたそうだ)当時、アウンサンスーチーはまだ表舞台に出てきていなかったが彼女の側近となるティン・ウは投獄されている。
ネウィン以後はいわゆる軍政が続く。「民政移管」を標榜しながらも、大きな民主化のうねりに大しては鉄槌を加えた。その中心に最高学府ヤンゴン大学の存在がある。1988年アウンサン・スーチーが英国から帰国し、「ビックフォー」が立ち上がり、民主勢力である国民民主同盟(NLD)を結成するわけであるが、これが国民の絶大なる信頼を勝ち取り、選挙でも大勝する。しかし当時のソウ・マウン政権はこれを完全に無視し、世界中からバッシングを受けることなる。特に米国は北朝鮮と同レベルの人権侵害国家としてこの国を避け、米国の意向に従う日本も資金提供停止等同様の態度をとった。その間、ミャンマーを支えたのが中国だった。中国は長期的な戦略で動き、ビルマ経済の中枢を握った。しかし、これもまた歪な外交関係である。この状態を緩和したのが「寛容なASEAN」だった。ASEANは寛容な精神でミャンマーを取り込み、「民政移管」を助けた。その努力の末に「民政移管」が完成。アウンサン・スーチーの軟禁も解かれ、NLDが政権を担うことになった。これにより、アメリカとの関係も改善し、一気にミャンマーの道は開放されることになった。実際に現地の人と話してわかったことは、「軍政が一概に悪いとはいえない」ということだった。「発展途上国には軍政も必要だ」という考えを明確にもっている。ミャンマーはこの民政移管を対話によって切り開いてきた。その根底には仏教的な慈悲の精神が根強くある。今、ロヒンギャの問題がアメリカの視点からのみ報道されているが、そう単純な問題でもなさそうだ。吾々が接しているメデイアの報道が決して現地の人の視点と同じではないことを意識しておきべきだ。大切なことをいろいろと学んだ。

by oritaraakan | 2017-03-31 06:41 | 読書ログ  

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