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中井久夫「徴候・記憶・外傷」みすず書房

穂村弘氏のエッセイで紹介されていた本。筆者は京都大医学部出身、神戸大学医学部名誉教授、精神科医の中井氏。統合失調症分野のトップランナーでもある。かなり専門的な内容からエッセイ的な内容もあって実に読み応えのある本だった。表題は英語で言えばsign, memory,traumaってことになる。筆者は「生きる」定義を次のように語っている。

「予感と徴候から余韻に流れ去り、索引に収まる、あるいは流れに身を浸すこと」

ここでいう「徴候」は「全貌はわからないが、無視しえない不安、感覚」ということらしいが、本著のコアになっているものは「記憶」である。氏は被災者の心のケアだけでなく、犯罪者の心理分析なども幅広く、深遠な分析をされてきており、示唆に富む記述が多い。氏の扱う「記憶」は「外傷性記憶=トラウマ」のことだ。本来「記憶」と言うものは私たちがもっている「ストーリーを紡ぐ能力」によって日々変化していく。これを「神話創生能力」というそうだが、これは本来的な生命の営みであり、それがあるからこそ生きていけるわけだ。これは人間にしかない。しかし、外傷性記憶は動物が虐待を受けた時と同様、生々しく残る。特に人間は動物と違って「我慢する」能力があるが故に、そこに寄りかかりすぎている。だから発見が遅れるというわけだ。もちろん強度が弱ければ忘却につながるが、そうでなければ二次的体験、フラッシュバックを起こしやすく、自動的に不安と恐怖に対する防衛機制が体内に働き、肉体は疲弊する。ヒトラーも実は第1次大戦中、毒ガス負傷した戦争神経症者、薬物中毒者であり、大量の毒ガス虐殺を引き起こす要素を持っていたらしい(大戦前、大戦中の日本のリーダーも戦争神経症であったという指摘もあった)。

氏は現代精神医学の問題点を鋭く指摘している。いわば「ステレオタイプ治療法」だ。精神医学は他の分野に比べて目覚ましい発展を遂げていない。医師が「○○症だからこの薬」というのは対処であって決して治療ではない。この医師の驕りが誤った治療をした場合、患者の命を奪うこともある。氏は自らの失敗をもとに、実に謙虚な姿勢で患者に向き合っている。その姿勢や考え方は教員という俺の職業に直結している。最後にそれらを記録しておきたい。

・患者に有害なことはしない(不要ない処置や薬物投与はしない)。
・自分にできないことを患者に要求しない。
・指導する前にまず知ることを!
・効率だけを追い求めない。
・医師の心身の衛生が何より重要。
・「当面を凌ぐ」ことに積極的な意味がある。悪化の緩慢化をめざす。
・間接的アプローチをした方が効果がある。
・新しい理論を学ぶより、治療において陥りやすい落とし穴を悟ること。
・たくさんの捨て石を置くこと。その大部分は無駄になるが、その無駄が良しとなる。
・「踏み越え」を放置すると止めどもなく「踏み越える」それは個人の犯罪だけでなく、組織や社会や国家でもおきている。すぐに慢性化するものだ。これに対しては早期に対処する(環境、教育、信頼、罰則、法的規制、世論等)こと以外に方法はない。

今回本著を1か月かかって読んだが、もっと時間をかけて読むべき本だと思った。

by oritaraakan | 2016-01-11 11:52 | 読書ログ  

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