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宮田節子・金英達他「創氏改名」明石書店

昨日の読書ログにコメントがあって、「日本は朝鮮を植民地支配していない」「創氏改名は名前を奪ったのではない」など、ありがちな話が書き込まれていたので、「またか」ってかんじだったんだけど、「このブログを目にする方にだけはしっかり伝えとかなきゃ!」と思い、ある本を書庫から引っ張りだしてきた。赤線がびっしり引いてある本だ。実はこの「創氏改名」に関しては誤解が多い。コメントされた方もわかっていないのだが、「強制でもなく、任意でもない、しかし全員創氏になる」制度だったのだ。つまり設定創氏(任意)と法令創氏(自動的に全員創氏)になっていて、必然的に日本の氏を名乗らざるを得ないことになっていた。韓国は本貫+姓+名前が基本なのであるが、それを残したまま社会的呼称を日本的な家の発想による「氏名」にすることで「内鮮一体」を成し遂げ「皇民臣下」として「徴兵」し、「天皇が行幸できる環境形成」をするための狡猾な仕組みだったのだ。勿論、当時公務員だった人や知識人は「差別なく生きていく」ために自ら創氏をした。しかし、制度を徹底して広報したにも関わらず6か月で全国民の7%しか創氏をしなかったのだ。当時の総督府はこの政策を絶対的な面子にかけて圧力を加えた。「創氏しない者に対する不利益の供与」を徹底したのだ。「創氏しない者」の行政機関での手続き拒否、郵便等の拒否、不逞鮮人として食糧配給対象から除外、「創氏しない児童」の進学・入学拒否、叱責・欧打の許容などを徹底することで最終的に「生きていく」ために創氏したのだ。この問題は創氏自体より日本的家制度の導入で「両班の価値体系の崩壊」をもたらすことが最大の屈辱であったことは疑う余地がない。事実、子供の差別を苦にして創氏し、自殺した者もいるのだ。日本でこれを否定する動きがあるが、商業右翼作家たち(渡辺昇一や小林よしのりなど)に踊らされて大切な視点を見失っている人達がいるのも事実だ。1940年制令20号を定めるために当時の総督府が緻密な計画のもとに朝鮮の日本化を目指した。「差別からぬけだしたい」朝鮮人の立場を徹底して利用して行った暴政の象徴だったことは、戦後大蔵省自らが「最大の失策」として報告書に書いている。何よりも韓国の多くの人達の心を最も傷つけた政策であったことは俺自身がたくさんの人と話して直接確認しているし、植民地支配であったことは疑う余地もない。日本が今後アジアと共に生きていくためにも勝手な解釈でなく、事実を受け止めて堂々と対話していくべきだと思う。

by oritaraakan | 2010-01-17 00:59 | 読書ログ  

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